冷戦時代の代表的終末観映画。

米ソが核戦争をして北半球は絶滅、わずかに生き残った人はオーストラリアに移住するが、死の灰は確実に近づいてきている。人類に残された時間は数ヶ月というところからこの映画は始まる。主人公はメルボルンに寄港している米軍潜水艦の艦長ドワイト、核爆発時水中に潜っていたため被爆を免れた。しかし家族はアメリカで爆撃を受けて死んでいる。部下のピーターはホームパーティーにドワイトを誘う。お相手は独身のモイラだ。モイラはモーションを掛けるがドワイトは家族のことがどうしても忘れられない。振られたモイラは昔の恋人で科学者のジュリアンの家を訪ねるが、彼も自動車レース優勝という夢に打ち込むことで死の恐怖と戦っていた。そんなときサンディエゴから謎の信号が送られる。誰か生存者がいるのか?ドワイトの潜水艦はアメリカ西海岸に向けて出動する。

日本人は核の恐ろしさを直接見て知っているから、ここでの描かれ方に物足りなさを感じる。
しかしそれは問題ではない。
それより住民が秩序を保って大人しく死を受け入れる姿が不気味だ。
普通だったらパニックを起こしたり、南極大陸へ逃亡するものだと思うが、これにはおそらく黙示録や最後の審判のような宗教的意味があるのだろう。
(今だったら宇宙へ脱出することも可能)

ただし、人々が最後の望みを失って絶望してからも映画は終わらず、しばらく続く。
冗長な感じは否めないが、死を受け入れる(自殺を選択する)までの時間が人によって違うことを意味しているのだろう。

また若いアンソニー・パーキンスは良いとして、エヴァ・ガードナーやフレッド・アステアと言った大御所を起用されたが、限られた予算の中での監督のコネだろうな。

監督・製作 スタンリー・クレイマー
脚本 ジョン・パクストン
原作 ネビル・シュート

配役

グレゴリー・ペック
エヴァ・ガードナー
フレッド・アステア
アンソニー・パーキンス
ドナ・アンダーソン

 

 

渚にて 1959 United Artists

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