ドストエフスキーの初期短篇を、19世紀のペテルブルグから現代イタリアの港町に舞台をかえて、女流脚本家スーゾ・チェキ・ダミコが脚色し、ジュゼッペ・ロトンノの撮影でルキノ・ヴィスコンティが監督した作品。音楽はニーノ・ロータ。
主演はドイツ人女優マリア・シェル、イタリア人マルチェロ・マストロヤンニ。共演にフランス人ジャン・マレー。
1957年ヴェニチア国際映画祭銀獅子賞を受賞。
あらすじ
初日
イタリアのある港町へ転勤してきたばかりの青年マリオが夜道を散歩していると、運河の橋で泣いている女を見つけた。女は泣いていた。マリオは女に声をかけた。彼女を家まで送り、翌晩の再会を約して別れた。女はマリオが帰った後で橋に戻った。
二日目
翌晩、女は一度は彼から逃げようが、やがて自分の行為をわびた。ナタリアと自己紹介し、身の上話をした。ナタリアは眼のわるい祖母と友人ジュリアーナと三人で、下宿屋をしながらを貧しい暮らしをしていた。ところが、下宿人の中年男と親しくなった。二人の間に愛情が生まれ、ナタリアは幸福だった。だがオペラ「セビリアの理髪師」を皆で観劇した夜、男は町を去ると言った。男は訳ありの身で、一年経ったら必ず戻ってくると言い、橋のたもとで別れた。一年後、ナタリアは毎晩、約束の橋で男を待ち続けている。ナタリアは噂話で男がすでに町に戻っていると聞いていた。ナタリアはマリオに、男に手紙を渡してと頼む。彼は一旦承知したが、彼女が去った後に手紙を破り捨てた。その様子を娼婦が見ていた。
三日目
ナタリアは返事を言わないでといい、その代わりマリオとダンス・クラブでデートし、慣れないツイストを踊った。夜10時になり、ナタリアはマリオを残して橋の方へ駈けて行った。マリオは娼婦で買おうと思うが、人の見てる前で始めようとする無神経さに娼婦を突き放す。一方、待ち人来らず彼女に絶望していた。マリオはそこで手紙を破ったことを打明けた。ナタリアはマリオに迷惑をかけたことをわび、彼の愛を受入れようと思った。二人は雪の降り出した深夜の町を歩きつづけた。例の橋まで来ると例の男の姿があった。ナタリアは突然駈け出した。そこでマリオの元に戻り、感謝を述べて再び男と夜の街へ消えた。マリオはただ見守るだけだった。
雑感
ロマンチックな映画だ。
前半のシーン、特に初日と二日目はイタリアの港町と言うより19世紀のペテルブルクの運河かと思う。全く現代らしさを感じない。ロケではなく、ローマのチネチッタ撮影所でのスタジオ収録らしい。日本でも時代劇や清水宏の「にごりえ」の「十三夜」のシーンはスタジオ収録だと思う。あれと同じような感じがした。閉じた空間は我々にとって簡単に異空間となる。
ところが三日目(クリスマスイブ)になってマリオとナタリアはモダンなクラブに入って踊る。マストロヤンニは当時33歳だから最先端の音楽ーツイストーには突いて行けなかったけれど、欽ちゃん踊りを満座で突然踊り出す。彼は喜劇の出身でないが、急に視聴者は帝政ロシアから現代のイタリアに呼び戻された。ここで明るくなったから、続く雪のシーンの暗さや寒さを引き立たせるつもりだったのだろう。
ナタリアがマリオに過去を話し出すシーンからパンして過去の回想シーン(下宿屋)とカフェで会話するナタリアとマリオのシーンにシームレスにつながる手法もよくできている。ただしラズロ・ベネディック監督の「セールスマンの死」(1951)の方が早かった。
マリア・シェルはルネ・クレマン監督の「居酒屋」(1956)で人生に疲れた女房を演じていたが、次の年に「白夜」を撮り、おぼこくて純情な少女をさらりと演じてみせる。大竹しのぶ以上に、恐ろしい子!天才女優としか言いようがない。
マストロヤンニが演ずるマリオは最初イタリア男のいやらしさ満開だったが、次第にナタリアに情が移ってしまい、別れた後、半身が持って行かれたような感じがしたのだろう。振られた腹いせに娼婦と遊ぼうかとするが、娼婦が皆が見てる前で事をはじめようとして酔いが醒める辺りが好きだな。
なお原題は一年に一度の明るい夜の意味だが、この映画だとマリオは明るくなったわけではない。期待を持っただけなんだ。結局自分のまわりは闇だらけだったのだが。
スタッフ
監督 ルキノ・ヴィスコンティ
製作 フランコ・クリスタルディ
原作 フョードル・M・ドストエフスキー
脚色 スーゾ・チェッキ・ダミーコ 、 ルキノ・ヴィスコンティ
撮影 ジュゼッペ・ロトゥンノ
音楽 ニーノ・ロータ
キャスト
ナタリア マリア・シェル
転勤したばかりのマリオ マルチェロ・マストロヤンニ
下宿人ロジェール ジャン・マレー
娼婦 クララ・カラマイ
ナタリアの祖母 マリア・ザノーリ
祖母の友人ジュリアーナ エレナ・ファンチェーラ