フランコ・ゼフィレッリ監督の大ヒット作「ロメオとジュリエット」から四年後に公開された傑作映画。
フランシスコ修道会の祖である聖フランシスコが宗教に関心がなかった頃から、キリスト教に回心し、仲間達と布教を始めると司教から異端扱いされるが教皇イノケンティウス3世に直訴するまでを描いている。
と言っても偉人の伝記映画ではない。
宗教映画というと奇跡をどう描くかが問題になるが、ここに奇跡はない。ヴェトナム戦争や高度成長期の出世競争に疲れた人々に向けて、理想主義をうたった「青春映画」になっている。
イタリアが主になって制作したが、台詞は英語と仏語でイタリアっぽくない。1973年の米国映画「ジーザス・クライスト・スーパースター」ほどではないが、主題歌、劇中歌は全てスコットランド人シンガーソングライターのドノヴァンがケルト風に作詞作曲しており、ミュージカル要素が少しある。

あらすじ

フランチェスコ(映画ではフランシス)は、1182年ごろイタリア中部の小都市アッシジで豊かな毛織物商人の息子として生まれ、乳母日傘で育てられる。しかし隣の都市ペルージャに戦争で敗れ捕虜となる。1年後和議が成立して生還するが、捕虜にされている間によほど酷い目に会ったようで気が変になってしまう。
ある日、教会へ行くと雷に打たれたようになり、その場で服を全て脱ぎ捨て、自らは廃墟にハンセン病患者たちとともに住み着いてしまう。友人達は心配になり廃墟を訪れるが、冬でも裸足で外を歩く彼の生き方に感銘を覚え、一人また一人と仲間になる。彼らは労働奉仕や托鉢を行い、やがて廃墟からかつてあった教会を復元し、フランチェスコのGFだったキアラ(映画ではクレア)もフランチェスコに洗礼を受ける。
ところがアッシジの司教により、彼らは異端集団と判定され、教会は破壊され仲間も殺されてしまう。フランチェスコは何が悪かったのか自問する。そして教皇に尋ねに行くと宣言する。友人の貴族パウロは止めたが、フランチェスコの決意は固い。そこでパウロは、教皇イノケンティウス3世に取り次ぐ。フランチェスコは異端審問による火刑覚悟で、自分の持つ宗教観を教皇にぶつける。すると、教皇はフランチェスコの足元に跪く。

 

 

雑感

 

当時托鉢は禁じられていたし、洗礼や説教することも教会司祭の権限を要した。素人集団である彼らは異端だった。
しかし神聖ローマ帝国や東ローマ帝国、スペインのイスラム勢力と対峙して時勢に賢かったイノケンティウス3世は、新勢力といえども教会にとってプラスになるものは受け入れていく。ドミニコ修道会やフランシスコ修道会を認可したのは、キリスト教化が進んでいなかった貧しい層に浸透するために彼らが絶対必要と考えていたからである。
この映画は「若者の持つ一途さ」に希望を与えてくれる、自己肯定の映画だ。ただし能天気なハッピーエンドではなく、ちょっぴりリアルで小辛なところもある。
この映画のあらすじを聞いてキリスト教を知っている人は感じるように、フランチェスコは既存の宗教権威に踊らされている。例えば、教皇がフランチェスコに跪いた理由も、「教皇は役者だ」と登場人物に語らせるように、長期的に見て教会の利益になるからであり、老獪な教皇の方が若いフランチェスコより一枚も二枚も上なのである。実際、フランチェスコは映画の後も挫折と妥協を繰り返すことになる。
バッドエンドも良いのだが、たまにはこういう映画も良い。
聖フランシスコを描いた映画には、ロベルト・ロッセリーニが監督した「神の道化師、フランチェスコ」(1950)がある。本物の修道士を起用した映画として話題になった。
また聖フランシスコの史実にもっとも近いと言われている「剣と十字架」(1962)に尼僧として出演していた美人女優ドロレス・ハートは後に感化されて本当に尼さんになってしまった。
タイトルはイノケンティウス3世の言葉「教皇は太陽、皇帝は月」から来ている。

 

 

スタッフ・キャスト

 

監督 フランコ・ゼフィレッリ

脚本
フランコ・ゼフィレッリ
スーゾ・チェッキ・ダミーコ
ケネス・ロス
リナ・ウェルトミューラー

音楽 ドノヴァン

配役

フランチェスコ グレアム・フォークナー
キアラ ジュディ・バウカー

教皇 アレック・ギネス

 

 

ブラザー・サン シスター・ムーン Brother Sun Sister Moon 1972 イタリア・英国制作 CIC国内配給 追悼フランコ・セフィレッリ監督

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