真珠湾攻撃の日々を、映画「トラトラトラ」と同じような日程で、日本の側から描いている。
まずハル・ノートを取りあげる。ハルは当時の国務長官である。ずいぶん高齢な人で、中国の老かいな外交政策にまんまと丸め込まれた。その結果日本が拒否せざるをえない最後通牒になってしまった。
アメリカ・ルーズベルト大統領は、日本にイギリス・オランダと戦争を起こさせて、漁夫の利を得ようとしていた。当初アメリカが参戦する気はなかったのである。
ただしルーズベルトが、真珠湾を日本軍に攻めさせたという陰謀説は、誤りらしい。日本側の暗号通信を傍受したという怪文書がワシントンから出ているが、日本側にはこころあたりのないものだ。

 

南雲忠一第一艦隊長官が、アメリカに漏れないように細心の注意を払って、艦隊を秘密裏に移動している。短期決戦を望む山本五十六連合艦隊長官の提案だった。
昭和16年12月8日が明けるやいなや、マレー半島上陸と真珠湾攻撃を仕掛ける。アメリカは、まさかハワイの真珠湾にまでやって来るとは思っていなかった。
ところが、間抜けなことに日本外務省のミスで宣戦布告を出すのが遅れてしまった。宣戦布告したときにはアメリカ政府に真珠湾攻撃の情報は既に届いてしまった。

 

日本はフィリピンの米軍航空基地にも爆撃を仕掛け、戦闘機をほぼ全滅させている。マッカーサーが責任者だったが、彼は責任を問われなかった。実はルーズベルトは、真珠湾でなくフィリピンから太平洋戦争を始めさせようとしていた。
 

「真珠湾」の日 半藤一利 文春文庫

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