チャップリンが主演して監督した最後の作品である。この後は1967年ソフィア・ローレン、マーロン・ブランド主演で自らは監督業に徹した「(香港の)伯爵夫人」を撮ったのみだ。
彼は赤狩り時代(1952年)にハリウッドを追放されたが、そのアメリカを痛烈に皮肉った作品である。
赤色革命のため国を追われた欧州の小国の王様(チャップリン)は無一文でニューヨークにやって来たが、招かれた夕食会で演劇をしていたといったため、コマーシャルへの出演依頼が殺到し、コマーシャルタレントとして生計を立てている。そんなある日、学校を訪問した王は、ルパートという少年と出会う。彼は王に無政府主義について蕩々(とうとう)と講釈する。彼の両親は共産党の危険人物だったせいもあり、王自身も赤狩り委員会に呼び出される。やがて、ルパートの両親は逮捕され、少年にムリヤリ両親の友人達の名前を密告させる。王は失意の少年を欧州に招待する。
本当にアメリカって馬鹿な国だと思った。確かに当時のチャップリンは五年に一作品しか取れないほど体力は落ちていたが、それでも映画「独裁者」を撮って反ナチズムの姿勢を貫いたハリウッドの宝だったろう。「モダンタイムス」が「容共的」作品と言って今どきの若者に通じない言葉で排除するとはあまりにナンセンスだ。赤狩りとは容共的ユダヤ人(ソ連と通じているユダヤ人)を追放することだと思っているが、チャップリン自身も「ユダヤ人と間違えられて光栄だ」と発言しているように誤解されている節があった。ただ、それは国務省は調査できたはずである。赤狩り時代のアメリカ人は気が狂っていたとしか思えない。
ニューヨークの王様 1957 イギリス