エミール・ゾラは、フランス自然主義文学の第一人者であり社会運動家であり、ポール・セザンヌはポスト印象派の第一人者であり20世紀絵画への大いなる道しるべを作った。
銀行家の息子ポール・セザンヌと貧乏な父無し子エミール・ゾラは幼なじみで青春期もともに過ごしたが、中年になりエミール・ゾラが成功したため、絶縁する。
しかし「その後」があった・・・はず。
 
監督と脚本はダニエル・トンプソン(ラ・ブーム、ブッシュ・ド・ノエル)。主演はセザンヌ役をギョーム・ガリエンヌとゾラ役をギョーム・カネである。共演はゾラ夫人がアリス・ポル、セザンヌ夫人がデボラ・フランソワ、ゾラの愛人役にフレイア・メーバー、セザンヌの母役にサビーヌ・アゼマである。
 
エミール・ゾラの伝記映画は、1937年のアメリカ映画で、アカデミー作品賞に輝く「ゾラの生涯」が有名だが、アメリカ人は世界史の時間にフランスについて学んでいないらしく、時系列がメチャクチャだ。それに後半、セザンヌがゾラと絶縁してしまい、ゾラはドレフュス事件に専念する。
 
ところが、近年セザンヌへゾラが絶縁した後も手紙を書いていたことが分かり、二人の友情が続いたのでないかと考えられている。
この脚本は、その手紙の発見より早く出来たそうだが、おそらく手紙を読んで、脚本に手を入れたに違いない。
というわけで上映当時の最新の研究を基に作られた映画と言える。

 

あらすじ

2人が絶縁したのは、ゾラが画家を描いた小説『制作』を1886年に発表してセザンヌがそれを自分に対する揶揄いと考えたことが原因だ。監督は2人がその後も密かに会っていたと考え、1888年にゾラの別荘をセザンヌが訪問するシーンから映画は始まる。
そこから回想シーンでは青春期の思い出や、徐々にゾラが作家として成功する一方、セザンヌがいつまでも彼を認めてくれないパリの画壇に絶望し南仏のエクスに引き籠もる様子が描かれる。さらに1888年の再会に戻って、小説「制作」について口論したり、仲良くなったりというシーンが描かれる。
 
しかしラストで、エクスの近くへゾラはドレフュス事件の疲れを癒やしに来る。喜んでセザンヌはゾラの元へと走るが、・・・。
 

雑感

作家は因果な仕事で、友達をなくすこともあろう。しかしこの映画では、セザンヌゾラに対して変わらぬ友情を抱いていた。それを壊したのは、ドレフュス事件で頭がいっぱいと言え、ゾラの一言である。
 
男の嫉妬は実に嫌なものだが、逆に勝ち組が優越感に浸って負け組を哀れむというのも、あまり気持ちが良いものでない。
ラストでゾラは、セザンヌが終わったと公衆の面前で決めつけてしまうが、それを陰でセザンヌは聞いている。
ところが、画家なんて成功するかどうかは運なんだ。とくにサロン向きでない画家の場合、画商との相性が重要である。
セザンヌは元々画家に好まれた人で、保守層をターゲットにするサロン向きでなかった。
その意味で画商ヴォラール(ロラン・ストケル)との出会いがセザンヌの運命を変え、亡くなるまでの短い期間だが、人気画家の仲間入りをした。
そして第二次世界大戦後になると、セザンヌの絵画は、ルノアールと同等の価格で取引されるようになった。
要するに死後40年経ってセザンヌに時代が追い付いたのだ。
もちろんそのときにエミール・ゾラは既に亡くなっていた。1902年でドレフュスの名誉回復前のことだ。ゾラの死亡はドレフュス事件に関わりがあるという陰謀説も流れているが、この映画では二人の最末期について言及していない。

 
この映画の終わり方も一本、亡くなった後を描くのも一本の伝記映画だろう。

 

スタッフ・キャスト

監督・脚本ダニエル・トンプソン
製作アルベール・コスキ
撮影ジャン=マリー・ドルージュ
美術ミシェル・アベ=バニエ
 
出演
ギョーム・ガリエンヌ    ポール・セザンヌ
ギョーム・カネ       エミール・ゾラ
アリス・ポル        アレクサンドリーヌ・ゾラ
デボラ・フランソワ     オルタンス・セザンヌ
フレイア・メーバー     ジャンヌ (ゾラの愛人)
サビーヌ・アゼマ      セザンヌの母      

セザンヌと過ごした時間 Cezanne et moi 2016 フランス製作 セテラ・インターナショナル配給

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