☆天皇賞そして有馬記念に
明け五歳、鞍上に池添兼雄を迎え京都と中京のオープンで二叩きして、三月初めの大阪杯は逃げて、五連勝のロングホークの三着と復調気配を見せた。
続く鳴尾記念でも逃げて、ゴール前コクサイプリンスと競り合い、最後はタイホウヒーローの末脚に屈したが、三着と粘った。

エリモジョージ福永洋一の手が戻り、春の天皇賞が面白くなったと思っていたが、当日はあいにく雨・不良馬場である。
前走鳴尾記念は稍重で好走したが、極端な道悪はNHK杯以来であり、人気は低迷し十二番人気でしかない。
当時強いと信じられていた昭和50年クラシック世代のコクサイプリンス、イシノアラシ、ロングホーク、ロングファストの四頭で決まると考えられていた。
旧五歳四強は、最近ではイングランディーレ優勝の年とそっくりだ。なおスリーヨークは取り消した。

 

スタート後、すぐ先頭に立ったエリモジョージは馬場の良い外目を気持ちよく逃げる。
一番人気のコクサイプリンスは中団前の外、絶好位につける。二番人気イシノアラシは中団の後ろの外目を行く。ロングホークは内枠のため、中団の内に付ける。ロングファストはこの馬場では致命的な最後方に付ける。
向こう正面に入って、エリモジョージにウェスタンリバーがつつく。しかし残り800mで力尽き、続いてロングホークが外に持ち出し、ジョージに襲いかかる。イシノアラシもその後に続く。後ろでコクサイプリンスとロングファストはもがいていた。
そしてエリモジョージにロングホークが外から馬体を重ねたところがゴールだ。はっきり首差、エリモジョージは残った。杉本清アナウンサーの声もひっくり返っていた。

エリモに遅い春が来た。ロングホークは前半馬場の悪いところを通らされたのが悔やまれる。

 

 


その後池添兼雄に手戻りして宝塚記念を迎えるが、7着に惨敗。天皇賞は何だったんだ?
福永に戻って1200の札幌短距離S(ダート)6着、函館巴賞4着と叩き、函館記念は大久保調教師の計算通り7馬身差の圧勝。60キロ背負ってレコード勝ちだ。彼のナリブー調教ノウハウはエリモジョージで培ったのだろうか。
京都に戻り大賞典は9着に沈むが、ちゃっかり秋の京都記念は五番人気もなんのその61キロ背負ってレコード勝ち。
そこで東上初戦クモハタ記念はニッポーキングの4着に敗れるも、本番有馬記念は二番人気に支持される。何とあのテンポイントより上なのだ。

 

 


しかし分の悪い内枠を引いてしまい、そう簡単には逃がしてもらえないだろうと思った。
案の定、外車のスピリットスワプスが逃げコクサイプリンスが先行した。エリモジョージはその後に付ける展開。
そしてハイペースに巻き込まれ、好位で外枠から内目を取ったトウショウボーイが抜け出した。テンポイントが追いすがるが、トウショウボーイの勝利は変わらなかった。
エリモジョージは結局6着に終る。

エリモジョージ物語2 (天皇賞・春 1976)

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