アメリカの女性歌手ジェイン・フローマン(1907−1980)の波乱の半生を描く音楽映画。
製作、脚本はラマー・トロッティ、監督はウォルター・ラング

主演はスーザン・ヘイワード、共演は西部劇スターであるロリー・カルホーン、他にデイヴィッド・ウェインセルマ・リッター、さらに若き日のロバート・ワグナー。テクニカラー映画。

あらすじ

1929年、歌手のジェイン・フローマンは芸人ドン・ロスの口添えでシンシナティの放送局と出演契約を結んだ。コマソンから初めて、歌番組に出演するようになる。さらにジェーンはニューヨークにも進出し、喝采を浴びた。
彼女は、母が離婚したことから結婚について冷めていた。しかし、ドンの度重なる求婚に、1933年ジェインは結婚を承諾した。

月日が経ち、ジェインは全米スターになるが、ドンは二流芸人のままで、二人の間に隙間風が吹いていた。
第二次世界大戦が勃発して、1943年ジェインはロンドンへの慰問旅行に出かける。しかし彼女の乗った飛行機は、ポルトガルのリスボンに着陸寸前、機長のミスで海に墜落する。彼女は足に重傷を負い、第三操縦士のジョン・バーンと共に救われた。
病院では、入院したジョン・バーンの他、アメリカ人看護婦クラニーがジェインを元気付けた。米国で最高水準の治療を受けるため、一旦ジェインは看護婦クラニーと共に帰国した。

ニューヨークに帰ってもジェインは脚の状態が良くなくて、手術を繰り返した。ジェインは一時ニューヨークの舞台の上に椅子を置きながら歌うまで復活したが、すぐ悪化して再入院してしまった。ジェインは、脚を手術で切断されると思い込んでいた。
順調に治療が進んだジョンが帰国して来た。見舞いに来てくれるジョンを、ジェインはいつしか愛するようになった。
ジェインはようやく松葉杖で体を支えながら、歌手としてカムバックを果たした。ジェインは、ジョンとプラトニックな関係を続けていたが、夫ドンはジェインに夫か愛人かどちらか選べと迫る。ジェインは、デビューの頃世話になった夫には恩があると言って、ジョンと距離を置くことにした・・・。

 

雑感

これは、大歌手ジェイン・フローマンが生きているときの伝記映画なので、「細君譲渡事件」について事実を述べているかはわからない。しかし元夫ドン・ロスも自ら身を引くことで、芸能界から干されないようにしたことは考えられる。1948年にジェインは、離婚とジョンとの再婚をしている。
そして8年後の1956年には、ジョン・バーンとも離婚している。やはり、彼女は愛情というものがよくわかっていなかったようだ。結局、昔の友人と1962年に結婚して死ぬまで添い続けた。

アカデミー主演女優賞にノミネートされたスーザン・ヘイワードの振付が凄いのか、アフレコで歌ったジェイン・フローマンが凄いのか。ジェインの歌が上手いのは当然だが、慰問での兵士と掛け合いの部分をどう収録したのだろうか。スーザン・ヘイワードが、兵士を鼓舞するように元気よく振り付けている。これは、オードリー・ヘップバーンが「マイ・フェア・レディ」で見せた吹替と全く違うものだった。のちにオスカーを取るのも良くわかる。

セルマ・リッターも後半出番が多かった。いささか、型にはまった役だったので、アカデミー助演女優賞にノミネートされたのが、申し訳なく感じた。彼女の実力はこんなものではない。

ロリー・カルホーンは、後半のみの出演だが、セクシーなスターで、共演扱いされている。
しかし世の男性族からすれば、デビッド・ウェインの自分より出世する女と結婚してしまった男の方が共感する。

ロバート・ワーグナーは、ナイーブな空挺部隊員として登場する。初めは、ジェインの復帰コンサートで出会う。次に出会ったのは、戦後の欧州慰問旅行だった。戦場のトラウマでろくに口も聞けなくなっていたが、彼女がうまく誘導して笑顔を思い出させる。この映画の中でも、最も印象的なシーンだ。これで、デビュー三年目の彼は一躍、若きホープとして注目される。

 

 

スタッフ

監督  ウォルター・ラング
製作、脚本  ラマー・トロッティ
色彩監修  レオナード・ドス
音楽監督  ケン・ダービイ
音楽演奏  ハーバート・スペンサー、アール・ヘイゲン
撮影  レオン・シャムロイ

キャスト

ジェイン・フローマン  スーザン・ヘイワード
ジョン・バーン  ロリー・カルホーン
ドン・ロス  デイヴィッド・ウェイン
クラニー  セルマ・リッター
米軍空挺部隊員  ロバート・ワグナー
ジェニファー・マーチ  ヘレン・ウェスコット
シスター・マリー  ユナ・マーケル

***

With A Song in My Heart の戦争が終わり、ジェインは再び軍隊慰問のためクラニーとともに渡欧した。松葉杖をついて歌うジェインの姿は、帰国して将来に不安を抱える傷病兵たちに大喝采を浴びる。
その中で、ジェインは一人の傷病兵と再会する。彼は、落下傘部隊に所属していたが、ドイツ軍の猛攻に遭って心を病んで口が聞けなくなっていた。ジェインは、その歌声で彼の閉ざされた心を開き、デュエットできるまでになった。苦しみを味わったジェインには、他人事ではなかったのだ。

ジェインは、松葉杖で長期の慰問旅行を続け、ついに帰国した。ドンは、ジョンと電話で話した。そしてジェインを譲る決心をして、彼女の迎えには出なかった。
まもなくジェインは、その年の最も勇気あるエンターテイナーとして表彰された。そして、クラニーとジョンの前でコンサートを開く。

 

 

わが心に歌えば With A Song in My Heart (1951) 20世紀フォックス製作・配給 (日本公開1953年) 大歌手の感動実話

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