仏日合作映画「二十四時間の情事」の脚本を書いたマルグリット・デュラスの小説を映画化した不倫映画。
脚本はをデュラスとジェラール・ジャルロが書き、イギリス人で「三文オペラ」を撮ったピーター・ブルックが監督を務めた。
原題になっているディアベリソナチネの「モデラート・カンタービレ」の音楽がたびたび使われる。
主演はジャンヌ・モロー、若手のジャン・ポール・ベルモンド。白黒シネスコ映画。

あらすじ

フランス西海岸の町ブレーの工場長の妻アンヌは、息子をピアノ教室に連れて来ていた。息子はソナチネを弾かされているが、やる気が全くない。教師は怒るがその時、窓の外から女の悲鳴がしたのを聞く。下に降りると警察が来ており、隣の酒場には女性の死体が床に横たわっていた。その上から犯人の男が抱きついているのを警官が引き剥がそうとしているのをアンヌは目の当たりにする。痴話喧嘩の果ての刃傷沙汰だったようだ。
男が殺した女に注ぐ視線を、アンヌは忘れられなかった。彼女と夫の仲は冷めきっていた。それでも別れないのは、名門の自負と息子の存在だった。

翌日、殺人現場の酒場でアンヌは鉄工所の工員ショーヴァンから事件について話しかけられた。ショーヴァンとは昨日も酒場の前で顔を見かけていた。最初は噂話を楽しむだけだった。
その翌日は人目があるので、船に乗って息子を連れて遊びに行く。ショーヴァンがその後をついてくる。ショーヴァンはまるで殺された女がアンヌのような立場として、事件を語る。そのうちに打ち解けてアンヌは身の上話を語って、最後に殺人の動機は何か問う。ショーヴァンはわからないと答えるが、もしや嘱託殺人(別れたくなくても別れさせられる女からの依頼で男が殺した)かもしれぬと言う。
それから毎日のように会ううちに、並木路でアンヌは愛し合うようになる。しかしショーヴァンは突然怒ったように帰れと言って母子を追い返してしまう。

出会って一週間、アンヌはまた息子のピアノ・レッスンで町に出て、レッスンを終えてから森で子供と遊んだ後に家に戻る。すると知らない間にパーティーの準備が進んでいた。アンヌはパーティー前に酒場へ出かけてショーバンに会うが、立場が違うのでもう会わない方が良いと言われる。パーティーに顔を出した後、アンヌは再び酒場を訪れる。待っていたショーヴァンは「君は死んだ方がいい」と言い残して町を出て行った。大切なものを失ったアンナは、事件での女の悲鳴にも似た叫び声をあげて泣き叫ぶ。しかし表に夫の車が待っているのを知ると、黙って乗り込み自宅へ帰っていった。

雑感

アンヌとショーヴァンは映画の中ではキッスさえもしていない。まるでプラトニックのように描かれる。しかしアンヌは気を失うようなシーンが何度かある。それがセックスのメタファーだろうか。
ジャンヌ・モローのように濡場ゼロでありながら、顔、耳、髪を撫ぜられただけで失神するようなセクシーな芝居を見せる女優もいる。彼女はこの作品でカンヌ国際映画祭女優賞を受賞した。日本のAV女優の皆さんも少し性的表現方法を考え直した方が良いと思う。
ピーター・ブルックは舞台監督出身らしく、最小限の俳優でこの作品を撮り切った。いささか、省略手法や隠喩が多かったので、今の人にはわからないだろうが。

音楽では主題とも言える「モデラート・カンタービレ」(歌うよな普通の速さで)が何度も繰り返し奏でられる。作曲者はハイドンの弟子のアントン・ディアベリ。ベートーベンやシューベルトと同時代人で、楽譜出版業で成功した人物だ。ピアノ練習曲のこの曲以外に、自分の考えた主題によりベートーベンが「ディアベリ変奏曲」を作ったことが有名である。

邦題の「雨のしのび逢い」と言いながら雨のシーンはない。季節は春だが、この地方は天候不順で風が吹いているだけである。恐らく海岸地方だから、雨が降るはずと気を回したのだろうが、このタイトルはやはりおかしい。「ソナチネ」という題名で良かったのではないか。原題「モデラート・カンタービレ」をそのまま邦題にした方が良いというバカがいたが、1960年にそんな長い外来語タイトルの洋画はほとんどない。

スタッフ

監督 ピーター・ブルック
脚本 マルグリット・デュラス 、 ジェラール・ジャルロ
原作 マルグリット・デュラス
撮影 アルマン・ティラール

キャスト

アンヌ・デバルド夫人  ジャンヌ・モロー
工員ショーヴァン  ジャン・ポール・ベルモンド
夫ピエール・デバルド  ディディエ・オードパン
殺人者  ヴァレリク・ドブチンスキ
ピアノ教師   コレット・レジ
酒場の女将    パスカル・ド・ボワッソン

 

 

 

 

 

雨のしのび逢い Moderato Cantabile 1960 ドキュマント・フィルム製作 仏パラマウント配給 東和国内配給(1961)

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