原題は「出歯亀」の意味で、東宝怪談映画「血を吸う」シリーズとあまり関係はない。

同年に撮ったヒッチコック監督「サイコ」が被害者側から見た恐怖を描いているのに比べて、この映画はサイコな犯人側の興奮や罪悪感を描いている。今だったら当たり前なのだけど、当時は連続無差別殺人犯に同情することはタブーだったため、批評家の怒りを買った。最後は製作者でもあった名監督マイケル・パウエルの手を離れて、版権は一時所在不明となった。

その後20年経って、マーティン・スコセッシが再評価してからは、ブライアン・デ・パルマやロマン・ポランスキーも影響を受けたことが分かり、名作映画と呼ばれるようになった。

日本では東和が翌年1961年の夏に公開している。

 

 

あらすじ

 

マークは人付き合いの下手な映画カメラマン、時々副業としてポルノ写真を撮っている。女性が恐怖を感ずるときの表情を彼はこよなく愛していたが、それが高じて女性に恐怖でゆがむ表情を見せながら女性を殺してしまうカメラを作ってしまう。最初の被害者は娼婦だった。警察は単なる通り魔かと思ったため、マークが疑われることはなかった。しかし第2の被害者は、自分の職場である映画スタジオで知り合いのスタンドイン女優ヴィヴィアンだった。

彼にはGFヘレンがいた。ヘレンの前では臆病な男だったが、彼女がカメラの前に立つと異常な関心を寄せた。しかし彼には愛する彼女を殺せない。やがていつも出入りしているスタジオでポルノ女優を撮影しながら殺してしまう。流石の警察もマークに目を付ける。マークも彼女と別れる時が近付いていることは分かったいた。

 

 

 

雑感

 

上映時、上品な英国評論家は、醜悪な映画と言った。
戦時中、英国で最も有名だったパウエル監督は、この映画を製作兼監督したために、次第に表舞台から消え去ってしまう。
ヒッチコックの下で働いたこともある男が「サイコ」と同じ年に同じテーマを、よりリアルに撮ったためである。
マイケル・パウエルは銀行を辞めて映画界に飛び込んだ。撮影出身の監督で、第二次大戦中にハンガリー出身の脚本家プレスバーガーと出会ってから、彼と共同監督として(実際はプレスバーガーは脚本中心だった)次々とヒットを飛ばす。戦時中は戦争映画ばかりだったが、戦後は「黒水仙」、アンデルセン原作の「赤い靴」、「ホフマン物語」などの傑作を美しい撮影で世に送り出す。
しかしマイケル・パウエルは制作意欲は旺盛で、単独でも製作・監督を行なっていた。たまたま単独映画「ハネムーン」がカンヌ映画祭でパルムドールにノミネートされたことで調子に乗り、ヒッチコック先輩にホラー作品で挑戦した。
彼の映画の主題はプレスバーガー時代からも一貫して芸術の危険性〜芸術家の陥る狂気だった。「血を吸うカメラ」でも恐怖に歪む顔を描きたいという欲求が狂気になってしまう。
しかし映画では、視聴者は犯人の心理に迫りながら、犯人に同情を寄せてしまう。主演の演技はラング監督「M」のピーター・ローレのようだ。
この映画の犯人はラング監督やヒッチコックだったのではないか?
1960年ごろ、英国は屋外ロケやドキュメンタリータッチの映像で米国に遙かに遅れていた。この映画はその点も意識している。
また当時ポルノ写真やポルノフィルムが増えていったという英国の時事問題も捕らえている。
さらに、殺される自分の歪んだ顔を見ながら現実に殺される、いわゆる「スナッフフィルム」を犯人は撮っていた。これは未来を見通していたとしか言いようがない。このことは、デ・パルマや ポランスキーに影響を与えた。
後にマーチン・スコセッシ監督による再評価がなければ、消えてしまった作品だ。
ちなみに監督の息子コロンバを犯人の子供時代に起用した。犯人の父親役はマイケル自身だ。

 

 

 

スタッフ・キャスト

監督 マイケル・パウエル
脚本 レオ・マーク
撮影 オットー・ヘラー
音楽 ブライアン・イースデル
美術 アーサー・・ローソン

 

配役
マーク  カール・ベーム
ヴィヴィアン  モイラ・シアラー
ヘレン  アンナ・マッシー
スティーブンス夫人  マクシーヌ・オードリー
アーサー・バーデン  エズモンド・ナイト
ピーターズ  バートレット・マリン

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