東大仏文卒の高畑勲監督作品。最初の上映時に宮崎駿監督の「となりのトトロ」と同時併映されたが、ヒットする「魔女の宅急便」が上映される前年であり、一部の映画ファンや映画関係者を除いて大ヒットとならなかった。考えるに「トトロ」との組み合わせはプラスとマイナスの振れ幅が大き過ぎてリピーターを呼び込めなかったと思う。
しかし再上映やパッケージ化により「トトロ」は子供たちに大ヒットして、「火垂るの墓」も泣ける映画として広く評価されるようになった。

間違えて欲しくないのは、この映画は反戦映画ではないこと。いつの時代でも無視されて社会のシステムから切り離される不器用な人間はいる。(ホームレスもそうだし引きこもりもそうだ) そう言う人間の悲劇を描いたものだ。

清太の母は神戸空襲で焼け死んだ。14歳の清太と4歳の節子はその空襲で焼け出されたが、その時点では無傷だった。ひとまず西宮の親戚を頼るが、清太は勤労奉仕する気もなれず節子は泣き止まずで西宮と折り合いが悪くなり食事を別に摂るようになる。さらに清太に働けという叔母に嫌気がさして、二人は家を出て防空壕に住みつくようになる。食料は近所の畑から分けてもらっていたが、食料事情が悪くなると盗みを働くようになる。しかし衛生状態は依然悪く節子は身体中に発疹を生じて床に伏してしまう。負ぶって医者にいくが、栄養失調だから滋養をつけさせろと医者は言うだけだった。最後の貯金を下ろしに銀行に行くと、既に日本は戦争に負けたという。節子は亡くなり、近所で炭をもらって荼毘にふす。そして清太も戦災孤児となり、生きる気力を失って三宮駅で行き倒れとなる。
映画には戦争体験を伝えるという役割がある。
昔、積極的に戦争の話を聞かせてくれたお爺さんやお婆さんは、生き残った人である。したがって我々の戦争観は左翼にしろ右翼にしろバイアスがかかっていることが多い。
本当のどん底を知った人は多くを語らないか、既に亡くなっている。
そんな中でこの映画は反戦ではなくどん底にいるときの虚無感を教えてくれる。
節子の死因を云々する連中がいるが、もともと日本の衛生状態(とくに水)は悪く、空襲とは関係なく子供が幼いうちからよく死んだ。その代わり大勢産んだ。母は比較的良い生活をしながら五人中二人の姉弟を幼くして失っている。
原作者野坂昭之は実際に親戚の家に世話になりながら妹を戦争で失ったが、幼い妹の面倒を見ず自分は親戚のお姉さんにあこがれて青春していたそうだ。大人になってから下の妹を失った後悔を抱き、小説にして残そうと思ったのがこの直木賞受賞作「火垂るの墓」だ。焼跡闇市派作家としての作品であり、思想的バイアスはない。
火垂るの墓 1988 ジブリ/新潮社/東宝

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