新藤兼人の監督としての遅咲きのデビュー作。
新藤監督の脚本家時代の実話を基にしている。師匠にあたる坂口監督役は実際は溝口健二監督であり、主人公は戦時中に内妻を結核で失っている。

乙羽信子の悲恋ものとして映画化されてから、後に3回ドラマ化された(ヒロインはそれぞれ八千草薫、加藤治子、日色ともえ)。

 

沼崎は戦時中、新興キネマの売れない脚本家だったが、新興キネマと大都映画(大映の前身)の合併の話を聞いて、内妻の孝子とは京都撮影所に新天地を求めてやって来た。そこで巨匠である坂口監督に師事するが採用試験の第一作目は「筋書きでしかない」とこき下ろされる。そして猶予期間をもらい脚本について勉強し直す。しかし夏は暑くて冬は寒い気候が合わなかったのか、孝子は急性結核を発症する。彼女の食事の世話をしながら沼崎は脚本を書き続け、監督からはゴーサインが出た。決定稿を提出する前夜、孝子の容態が急変する。

 

当時の乙羽信子は「百万弗のゑくぼ」と呼ばれる宝塚娘役出身の人気アイドルだったから、この映画は「風立ちぬ」のような山口百恵にも通ずるアイドル悲恋映画である。この映画で乙羽信子はスターの座を確立する。
しかもアイドルの魅力を中心に撮っているが、戦争という現実もしっかり描かれている。近所でいつも遊んでいる子供が出征してお骨になって帰還するシーンがある。これが無ければベタベタな御涙頂戴映画になるところだった。

 

新藤は内妻を失い、戦後すぐ美代という女性と最初の結婚をしていた。しかし1952年に乙羽主演の映画「原爆の子」を発表して世界中の映画祭に衝撃を与え、乙羽信子が新藤の設立した近代映画協会に移籍すると内縁関係が生まれた。1972年に離婚が成立し乙羽と再婚を果たす。

 

監督・脚本:新藤兼人(近代映画協会)
撮影:竹村康和
録音:中村敏夫
音楽:木下忠司
配役:
乙羽信子
宇野重吉(民芸)
滝沢修(民芸)
殿山泰司(近代映画協会)
菅井一郎(第一協団)
清水将夫(民芸)
英百合子
大河内傳次郎(カメオ出演)

 

愛妻物語 1951 大映

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