戦前、ニューヨークのティンパンアレイで数々の大ヒットを生み出したバート・カーマー(作詞)とハリー・ルビー(作曲)のコンビを描いた、フレッド・アステア、ヴェラ・エレン、レッド・スケルトン主演のミュージカル。他に美人女優のアーレン・ダールも共演。カラー作品。

 

あらすじ

1919年、人気ダンサーだったバート・カーマーとジェシー・ブラウンの男女コンビは将来を誓った仲だ。しかしカーマーのひざの故障により、コンビは別れることになる。
彼は奇術、脚本や作詞も得意だったので、起業して生活に困らなかった。ある日、作曲家の卵であるハリーと再会し、「わがうるわしのテネシー」をヒットさせると、次から次へとヒット曲を生み出していく。
そんな中、カーマーはジェシーと再会し結婚する。バート&ジェシーのコンビを復活させるつもりと思い込み、ルビーはバートに別れを告げるが、ジェシーが家庭に入り、二人はハリウッドに進出し、マルクス兄弟の映画音楽を担当する。
ルビーも婚約するが破談になり、失意のどん底に落ちる。そんな彼を助けてくれたのが、野球だった。カーマーはルビーが休んでいる間に脚本の仕事を進める。立ち直ったルビーがこの脚本を読むと、あまり出来が良くない。そこでカーマーに代わって仕事をキャンセルして、カーマーにはスポンサーが下りたことにしてしまう。
やがてルビーにも春がやって来る。女優のアイリーンと付き合いだした。しかしパーティーでカーマーはルビーが脚本の仕事をキャンセルしたことを知り、ルビーと絶縁してしまう。
ルビーとアイリーンは結婚するが、アイリーンとジェシーは夫たち二人に復縁してもらうため、ラジオ番組で共演させる。リハーサルでは上手く行かなかったが、本番で20年来ルビーが暖めてきた曲にカーマーが歌詞をプレゼントして仲直りする。

 

雑感

良くあるMGMのヒットメーカーを題材にしたミュージカル映画である。上映当時、既にカーマーが亡くなっていたため、公開に支障はなかったようだ。とは言え、かなりカーマー寄りに演出していた。実際カーマーの方が、才能溢れる実業家(経営者)だったのだ。日本で言えば、漣健児かな。

ヴェラ・エレンは華が薄いのだが、タップが踏めるので、初めはジーン・ケリーと「踊る大紐育」などで、続いてフレッド・アステアと「土曜は貴女に」など、さらにドナルド・オコナーとも共演した。彼女のウェストがハリウッドで最も細いと言われており、拒食障害の噂があったが、1957年には映画界を引退した。

アーレン・ダールもMGMの美人女優だったが、あまり役に恵まれなかった。50年代中盤にはアクション映画のヒロインとして活躍。

それから目玉はデビー・レイノルズのMGM初登場である。彼女は、ミスコン優勝時にワーナーとMGMで取り合いになったが、コイントスでワーナーが勝った。従って、ワーナーでの映画出演経験があったが、ミュージカルからワーナーが撤退したため、MGMに移籍した。
この映画では、オープニング・クレジットに名前が載っていないが、エンディング・クレジットに役名と合わせて名前が載っている。
このミュージカルで最もよく知られた曲は、マリリン・モンローのリバイバル・ヒットでよく知られている「愛されたくて」(I Wanna Be Loved By You)。デビーは、この曲のオリジナル歌手ヘレン・ケインを演じている。映画ではヘレンは道端でこの曲の演奏を聴いていてダッキーボイスで「ププピドゥ」と合いの手を入れるのだが、それが絶妙だったため、カーマー&ルビーにスカウトされて舞台で歌うようになる。
この合いの手の入れ方が絶妙だったが、実はヘレン・ケイン自身がノークレジットでアフレコをしていた。道理で声が変だったw。

大プロデューサー・アーサー・フリードは、これだけしか実績のないデビーを次回作「雨に唄えば」に起用する。しかし体操選手だったため、ダンスは下手であり、ジーン・ケリーに散々怒られる。
ピアノの下で泣いているところに、フレッド・アステアが通りがかり、レッスンを付けてくれたそうだ。
 

スタッフ・キャスト

監督 リチャード・ソープ
製作 ジャック・カミングス
脚本 ジョージ・ウェルズ
撮影 ハリー・ジャクソン
音楽監督 アンドレ・プレヴィン
振り付け  ハーメス・パン

配役
バート     フレッド・アステア
ハリー     レッド・スケルトン (ピンのコメディアンであり、後にテレビ・ショーの名司会者)
ジェシー  ヴェラ・エレン
アイリーン アーレン・ダール
チャーリー キーナン・ウィン
ヘレン   デビー・レイノルズ

土曜は貴方に Three little words 1950 MGM フレッド・アステア主演ミュージカル・デビー・レイノルズのMGMデビュー作品

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