デビューは1964年。
この映像は、1965年のMarianne Faithfull – As Tears Go By (Hullabaloo London 1965)だ。
ミック・ジャガーとキース・リチャーズの手による彼女の初ヒット曲である。
この時点では、大した美少女だとは思えない。
女優向きの顔だったと思う。

次は短いが、おそらく4曲目のヒットだ。
しかもまた、あのポーズだ(笑)
ミック・ジャガーとつきあって、すっかりあかぬけてしまった。
Marianne Faithfull – ” Come and Stay With Me”.
その後、仏英合作映画「あの胸にもう一度」(1968)に主演。共演はアラン・ドロン。
黒のつなぎ姿は、ルパン三世「峰不二子」の元になった。

その後、スキャンダルで芸能界から干されてしまい、ミック・ジャガーとも別れる。
麻薬中毒から立ち直って、1979年にテクノ調の曲「ブロークン・イングリッシュ」がヒット。
Marianne Faithfull, Broken English
年を経たことで、老け声も様になってきた。
そして2000年のライブ。
曲は「労働階級の英雄」(ジョン・レノン、原曲は「ジョンの魂」に所収。)
Marianne Faithfull – “Working Class Hero” (live)

華原朋美も、彼女のような前例があるのだから、希望を棄てずにがんばってほしい。

マリアンヌ・フェイスフル(英)

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マリアンヌ・フェイスフル(英)” への2件のフィードバック

  1. 団塊世代女優 いしだあゆみ「青春の門」

    団塊の女優 いしだあゆみ「青春の門」いしだ あゆみ(1948年3月26日 )は、長崎県佐世保市生まれ、大阪府池田市育ちの歌手及び女優。姉がフィギュアスケートコーチの岡本治子、妹に元歌手の石田ゆり(なかにし礼夫人)。いしだあゆみもフィギュアスケート選手を経て芸能界にスカウトされた。歌手として、『ブルー・ライト・ヨコハマ』が1969年初頭から大ヒット、NHK紅白歌合戦に1969年から1977年まで9年連続出場を果たしたその後は女優に、1977年「青春の門・自立編」で報知映画賞助演……

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