原題の意味は「時の流れに」。ヴィム・ヴェンダースロードムービー三部作最終作にして、行き当たりばったりのほぼ即興劇。1976年度カンヌ国際映画祭国際映画批評家連盟賞受賞で、176分と長尺の白黒作品である。 
主演はリュディガー・フォーグラー、ハンス・ジヒラー。ほぼ二人芝居。

 

あらすじ

 
ブルーノは映画館の映写機の巡回メンテナンスマン、旅から旅の生活でトラックで生活している。ロベルトはジェノバで妻と別れドイツに帰ってきたが、ヤケになってスピードを出したビートルで川にダイブしてしまう。それを見ていたブルーノは笑ってしまうが、マジな顔をしているロベルトを見て、着替えを渡してトラックに乗せてやる。
(シェーニンゲン公会堂での影絵事件が起きる)
ロベルトは隙を見つけると、イタリアの元妻に電話を掛けている。未練があるようだ。夜になって工事現場のようなところに車を停めてブルーノは休むが、ロベルトは物音がするのに気付く。一人の男がいて石を投げ続けていた。彼の運転する自動車ごと妻が無理心中をしようとしたが、彼だけ助かったのだ。その晩は興奮する男の話をただ聞くだけだったが、男はやがて寝てしまう。翌日男は、事故車が牽引されていった後、立ち去る。ロベルトも思うところがあり、ブルーノに置き手紙をして出て行く。行き先は父の経営する新聞社だ。久しぶりに会う息子に喜ぶ父だが、ロベルトは一切の質問に答えず、母の死について父を糾弾する。ところが途中から眠そうな父に話して聞かせるより、文章にしようと思い、2ページの新聞を書き上げてしまう。
その頃、ブルーノは遊園地で逆ナンしてきたパウリーネという女性と知り合い、夜映画館でデートをすることになる。しかし映画館に行くと、彼女はモギリ嬢でしかも映画のピントが合ってない。職業病から映写技師を追い出し自分で上映してしまう。映画がはねてようやく彼女と二人きりになるが、彼女は泣きながら娘と二人の生活を嘆いた。結局、朝まで何もなかったようだ。朝早く起きたブルーノはロベルトを迎えに行く。ロベルトは憑き物が取れたかのように、積極的に話すようになった。彼は、昔の友人パウロを訪ね、サイドカーを借り出し二人で乗り回す。今度はブルーノが捨てて久しい自宅に帰りたいと言う。船に乗り換えて行く遠い島だったが、久しぶりに母が生きていた頃の思い出が湧き上がってきて、俺にも一人前の過去があったと実感する。
二人はトラックに戻り、国境近くの町を目指すが行き過ぎて、戦時中米軍が使った小屋に一泊することになった。その夜、また元妻に電話を掛けたロベルトに女々しいと言う。それに対して、ロベルトはブルーノの禁欲的な生活を笑った。ブルーノは女好きな性格が高じて、一人の女と満足できないと言った。
翌日、ロベルトは置き手紙をして、列車に乗り込む。ブルーノはそれを見てトラックを走らせる。列車とトラックが一瞬交差する瞬間があり、互いに気づいたようで、お互いにエールを送った。

 

雑感

 
三時間映画なのに、ろくな事件も起きず、流石に長く感じた。おそらく監督のプランを現場でかえって広げてしまって、二時間映画に編集できなかったのだろう。
でも元妻への未練タラタラの男と、セックスが好きすぎて女との結婚を諦めた男の二人旅を通して、原題どおり人生そのものを見せられているような気がする。
 
二人はこの旅でそれぞれのトラウマを一つ解決する。ロベルトは、母が亡くなって以来、仕事に一途で家庭を振り返らなかった父と対決し、最後は抱き合って別れる。戦争で父を失い顔も知らないブルーノは、母と住んでいた家に久し振りに帰り、自分にも人並みの思い出があったことを実感する。

 
男同士のロードムービーだから、男臭い。要注意シーンもいくつかある。一つはブルーノのウ⚪︎コシーン、もう一つはロベルトの立ちションシーンだ。その物ズバリがフィルムに写り、ボカシが入れられている。

 

スタッフ・キャスト

 
監督・脚本 ヴィム・ヴェンダース
撮影     ロビー・ミュラー
音楽     インプルブド・サウンド
 
配役
ブルーノ  リュディガー・フォーグラー
ロベルト  ハンス・ジッヒラー
パウリーネ リザ・クロイツァー
ロベルトの父   ルドルフ・シュンドラー
妻を亡くした男 マルカード・ボーム

さすらい Im Lauf der Zeit 1976 西ドイツ製作 欧日協会配給 ヴィム・ヴェンダース監督作品

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