原爆の鐘」を書いた永井隆博士(長崎医大、現長崎大学医学部) の被爆体験と亡くなるまでの日々を息子である誠一の視点で描いた作品。

空襲が多くなったので、長崎市から近隣の村へ誠一と妹茅乃を祖母宅に疎開させるところから始まる。長崎医大放射線医である父永井隆は既にレントゲンの当たりすぎで白血病に侵されていたが、専門家の立場から広島市内に落とされたのが原子爆弾だろうと思っていた。しかし実家へ連れて行った母緑が帰ってすぐ長崎に原爆が落ちた。光と爆風はものすごくて、村にいても窓を開けると飛ばされてしまう。逃げてきた親戚の姉弟は外見の傷は目立たなかったのに次々と亡くなっていく。祖母は市内に残った隆、緑夫婦が心配で一人で長崎まで出かける。そして疲れた様子で箱とともに戻ってきた。実は娘緑の骨箱だったのだ。遺体は自宅跡で発見された。隆は大学病院で被爆して負傷したが、次々と負傷者が運ばれてくるため病院を離れられない。隆が子供たちと会えたのは、数日後であった。
隆は終戦後も長崎復興のために尽力する一方、原爆投下を受けてどんな被害が出たか医学者の立場から詳細な記録を残した。また自分の死期が近いと知って、原爆の悲惨な事実を書き著した手記を書籍にして子供たちと国民に向け発表しようとしたが、駐留軍の検閲に掛かって発売されない。そうするうちに病状が悪くなり病院の仕事をできなくなり、寝たきりの日々が続くようになった。ようやく1950年に最初の書籍「長崎の鐘」が検閲を通り発売されベストセラーになり日本中の人々は長崎の悲劇を知ることになるが、翌年に隆は惜しまれつつ亡くなる。

駐留軍兵士が物見遊山でがれきの山と化した長崎市内を散策しているところに、永井親子が見すぼらしい姿で現れたものだから、カメラに写し出した。そこで隆は英語で語りかけ、全世界にここには教会が建っていて、キリスト教徒が大勢亡くなった惨状を伝えて欲しいと伝える。すると駐留軍兵士たちは態度を改め敬礼をする。

このシーンはおそらく息子誠一が実際に見た光景だろう。なんとも複雑な気持ちになるエピソードだ。

この映画は記録映画ではない。100%の事実ではないが、「長崎の鐘」と違って駐留軍の検閲が入ってない。それだけ映画をストレートに受け取って良いと思う。敬虔なカトリック教徒は、原爆を落とされても天に召されると言うのだな。

 

音楽はエレピ中心で時代を感じさせる。これが70年代以降の木下忠司の映画音楽だが、淡々とした脚本に比べて抒情的すぎる。後の世にこの映画を残すならば、クラシック中心で淡々としたものが良かった。長崎に縁のある人間としてはそれが残念。

 

監督 木下恵介
製作 笹井英男 、 東條あきら 、 金沢博 、 斎藤守恒
原作 永井隆
脚本 山田太一 、 木下恵介
撮影 岡崎宏三
音楽 木下忠司

配役
永井隆 加藤剛
永井緑 十朱幸代
永井誠一 中林正智
永井茅乃 西嶋真未
ツモ 淡島千景
現在の誠一 山口崇
三岸昌子 大竹しのぶ
三岸静子 神崎愛
山崎敏江 麻丘めぐみ

この子を残して (木下恵介監督) 1983 松竹

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