Pierangeli
監督:Robert Wise (「トロイのヘレン」「ウェストサイド・ストーリー」「サウンド・オブ・ミュージック」)
製作:チャールズ・スクニー
原作:ロッキー・グラジアノ(自伝) ロウランド・バーバー(伝記作家)
脚色:アーネスト・リーマン
撮影:ジョセフ・ルッテンバーグ
音楽:ブロニスロー・ケイパー
出演:
Paul Newman (ロッコ・バルベラ、ロッキー・グラジアノ)
Pier Angeli (ノーマ)
Everett Sloane(コーエン)
Sal Mineo (ロモロ)
Eileen Heckart (ロッコの母)

1956年の「傷だらけの栄光」は、イタリア系の不良少年が更生し、ボクシングでアメリカン・ドリームをつかむ話だ。
20年後に作られた「ロッキー」も同じボクシング映画だが、Poor White が黒人に勝つストーリーだ。
映画「ロッキー」のタイトルの元は、無敗の王者ロッキー・マルシアノ(ヘビー級)である。
しかしロッキー・グラジアノ(ミドル級)の方がマルシアノより早く世界チャンピオンになっている。
しかも無敗ではない。負けたり勝ったりである。
傷だらけだったのだ。
シルベスター・スタローンが「ロッキー」を作るとき、当然この映画も意識したと思う。

ロッコ(ポール・ニューマン)はブルックリンの不良だ。
家庭は崩壊していて、父親はボクサー崩れで、飲んだくれ。
母親は精神病院へ入院を繰り返す。
ついにロッコは軍隊から脱走して、軍法会議で懲役刑を食らう。
父親は息子を見放し、母(アイリーン・ヘッカート)もどうすることもできない。
しかし、ロッコは刑務所でボクシングに目覚める。
出獄後、ニューヨークのミドル級でプロデビューしてからは、連戦連勝だ。
恋人ノーマ(ピア・アンジェリ)とも結婚して、一子をもうける。
そして世界戦に挑戦するまで出世するが、惜しくも敗れる。
傷が癒えて再起戦が決まったとき、昔の知人が八百長を持ちかける。
ロッコは断るが、出場停止処分を受けてしまう。
それでも、神様はロッコを見捨ててはいなかった。
ニューヨークを離れて、イリノイ州でチャンピオンに挑戦することが認められる。

この映画でポール・ニューマンが登場した時の演技は、とても堅い。
まるで、アクターズ・スタジオの学生みたいだ。
途中から出てくる、恋人のピア・アンジェリもガチガチだ。

クランクイン当時、二人はジェームズ・ディーン・ショックから抜けきっていなかったのではないか。
ジェームズ・ディーンが最初、このロッコ役を演じる予定だった。
彼が自動車事故でなくなったため、急遽ポール・ニューマンが抜擢された。
ポールは、ジミーを意識しないわけがない。
ピア・アンジェリも宗教的理由でジミーと別れてしまったが、
別れずにいれば彼も自動車に熱中することはなかった、と罪の意識にさいなまれていただろう。

それが二人とも後半、結婚してから、どんどん上手になっていく。
がらりと変わってしまう。

後半のピア・アンジェリに関しては、生涯最高の演技だと思う。
その上、最高に美しい。
相変わらず、Donald Duck Voice だが。
彼女も実生活でジェームズ・ディーンと別れてから、既にヴィック・ダモンと結婚していたから、
結婚生活の方が演じやすかったのだろう。

ポール・ニューマンも後半には、ジミーの呪縛から逃れることができた。
この映画に好演したため、その後、次々と映画に主演して、スターダムを上っていった。

ポール・ニューマンはイスラエルの独立を描いた「栄光への脱出」“Exodus”にも主演した。
ハンガリー系ユダヤ人を父に持つ、ポール・ニューマンがイタリア人で、
イタリア人(ミス・ローマから芸能界入り)のピア・アンジェリがユダヤ人とは、不思議な配役だ。

主題歌はペリー・コモ。
実にかっこいい。

ロッコは再戦を前にして、父親と和解することにより人間的に成長する。
父子の和解というと、志賀直哉の私小説「和解」がある。
あれは志賀直哉自身が格好つけすぎで、かえってみっともない。
映画だけあって、リアリティはないが、やはりロッコの方がはるかにかっこいい。

A girl can lift a fellow to the sky.

Somebody down here too.

Somebody Up There Likes Me (傷だらけの栄光) 1956 MGM

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