連続少女殺人犯を巡る警察マフィアの対立のお話。117分版が当初封切り上映され、96分版が戦後復刻上映されたが、今回見たのはオランダとスイスが残されたフィルムからできる限り復元した109分版を見た。

 

まず、最初は誰か犯人がわからないまま、犠牲者が増え、警察は本腰を入れて捜査に当たる。この辺りの演出は恐怖心を煽り立てる。

マフィア(泥棒集団)は警察が巡回を厳しくするので商売あがったりになってしまう。そこで彼らは会議を開き、暗黒街で暮らす泥棒、乞食、掃除婦らを動員して犯人を捜す。市民から非難を寄せられる警察も全体会議を開き対策を立てている。しかし動員力ならば、マフィアの方が圧倒的に上である。ここはマフィアの会議と警察会議をパラレルに描いて対比させて笑いを得ているが、少し冗長な感があった。

犯人が新しい獲物を見つける。ところが彼にはペールギュントの口笛を吹く癖があった。それを風船売りの盲目老人は前の事件の時に聞いていたのだが、今回も耳にする。慌てて巡回のチンピラにつなぎを付けて、犯人の背中にM(殺人の意味)のマークを背中に付けてマフィア本部に連絡する。チンピラ達が集合して少女を解放し、犯人Mをオフィスビルに追い詰める。この辺りはサスペンスとアクション性があり愉しませる。

ビルに閉じ込められたMは金庫室に隠れた。マフィアは執拗にMを探し出す。まずドイツの近代的建築は世界一だったこと、さらにマフィアは非常に組織的に動く。ナチスが一糸乱れぬ統率力を持っている理由がよくわかった。

そして遂にMを発見するが、そのときビル警備員が警察に連絡する。急いでマフィアは集会所にMを連れ去る。そのとき主要メンバーの金庫破りを一人置いて来てしまう。

マフィアはMを公開裁判にかける。やる気のない被告弁護人が意外とまともなことを言って被疑者の人権を守ろうとするが、やはり世論には勝てず民衆の死刑を求める声に押し込まれる。この辺は裁判劇だった。見ている側は犯人にも人権があると言うことを思い知らされるが、群集心理には勝てない。

エンディング: 金庫破りに場所を吐かせた警察がMを保護して判事による裁判が始まる。みんなはどうせ子供達は帰ってこないと諦め顔で項垂れている。この辺りのフィルムの繋がりが悪いので、どうやら映像が抜けているようである。

 

フリッツ・ラング監督は一つの映画の中に様々な要素を取り込んでいる。だからすごい映画だと思う。捜査会議のシーンが黒澤明監督の「天国と地獄」と比較して長すぎたのを除くと、全体として名画であることは間違いない。戦前のドイツ映画が高い水準にあったことはよく分かった。

BGMについても興味深い。トーキーの最初の頃なので音楽はついてない。しかし口笛でペールギュントが掛かると、犯人が現れる印になり自然と恐怖を煽る。作曲したグリーグが生きていたら(1907年没)、こう言う使われ方は不本意だと言うだろう。だいたい遺族に著作権料を払っているのかw。

犯人役ピーター・ローレは27歳程度だが、若くてピチピチしている。私的裁判を受けて、犯罪は病気のせいで自分自身には罪がないことを熱弁する。その姿は鬼気迫るものがある。

英米での演技では下手な英語でネチネチしたユダヤ人丸出しの悪党ぶりを見せるが、母国語では流暢に語りローレンス・オリビエ顔負けの舞台名優ぶりを見せつける。

監督 フリッツ・ラング
脚本 テア・フォン・ハルボウ 、 フリッツ・ラング
撮影 フリッツ・アルノ・ワグナー
音楽 エドヴァルド・グリーグ
美術 エミール・ハスラー 、 カール・フォルブレヒト

配役
殺人鬼  ペーター・ローレ
母親  エレン・ヴィドマン
子供  インゲ・ランドグート
タンス職人  グスタフ・グリュントゲンス
泥棒 フリードリッヒ・グナス
詐欺師  フリッツ・オデマー
掏摸 パウル・ケンプ
農民  テオ・リンゲン

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M 1931 ドイツ

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