繁栄の限りを尽くした赤線も今は昔である。
そんな町の現在の建物の様子を写真に納めている。
東京を中心に大阪、名古屋などの赤線地帯が対象だ。
具体的には吉原、洲崎、品川、千住、新宿、玉ノ井、調布、八王子、立川、松戸、船橋、川崎、横浜、大阪飛田、中書島、枚方、名古屋中村など。
実にうらぶれている。
廃屋のまま手つかずのものもある。
戦後の新築物件より、戦前の中途半端な和洋折衷家屋が多く、いかにも娼館という感じだ。
現在ソープランドに立て替えられた場所は、含まれていない。

 

トリビア風に解説しておくと、戦前は公娼制度(公的売春制度)があった。
終戦直後はGHQにより、制度が廃止された。
そのため、行き場を失った売春婦や、戦災で生活が出来なくなった女性を中心にして、進駐軍向けに街娼(パンパン)が流行した。
その後、秩序維持のため政府・自治体は日本人向けの赤線・青線を開始する。
赤線は公に認められた売春地域である。
青線は盛り場地域の意味だが、実際は売春が黙認されていた。
その後、市川房枝の尽力により、廃娼運動が盛んとなり、昭和33年3月31日をもって赤線青線は廃止される。(4月1日売春禁止法施行)
とはいえ、トルコ風呂(現ソープランド)に取って代わられただけのところも多い。
(ライブドアから再録)

 

赤線跡を歩く 木村聡 自由国民社

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