ミュージックフェアの劇団四季特集を見ていた。
荒川務が、司会の恵の繰り出す質問を一人でさばいていた。
荒川務・・・フジテレビ「ちびっ子ものまね大合戦」で優勝
13歳で74年6月10日キャニオンから「太陽の日曜日」(作詩:安井かずみ 作編曲:都倉俊一)でデビュー。
最高69位12週間と意外と大したことはない。
一部の熱狂的なファンに支持されて長くチャートにいた。
2曲目「はじめての純情」は、いまだにアイドルアンソロジーに入ってくる名曲だ。
さらに3曲目「朝も昼も夜も」も小ヒット。
同じ年、荒川はレコード大賞新人賞に選ばれた。
ちなみにこの新人賞、他の歌手は
「恋はダンダン」歌手:浅野ゆう子 作詩:有馬三恵子 作編曲:川口 真 
「イルカにのった少年」歌手:城みちる 作詩:杉さとみ 作曲:林あきら 編曲:高田 弘
「空港」 歌手:テレサ・テン 作詩:山上路夫 作曲:猪俣公章 編曲:森岡賢一郎
「あなたにあげる」  歌手:西川峰子 作詩:千家和也 作曲:三木たかし 編曲:藤田はじめ
が選ばれている。(千家先生はここでも「あなたにあげる、わたしをあげる?♪」で大ヒットをかっ飛ばした。)
そして栄えある最優秀新人賞は、
「逃避行」  歌手:麻生よう子 作詩:千家和也 作曲:都倉俊一 編曲:馬飼野俊一
千家先生の飛び道具とも言える、歌詞「また 空いた汽車を 空いた汽車を見送った?♪」のおかげで、獲得している。
この年、あいざき進也が、新人賞は取れなかったが、ベスト10に顔を出しており、城みちると並んで御三家を追っていた。
あいざき進也に対抗して、荒川は子供っぽさを売りにしていたと思う。
荒川務は、キャニオンの押しで新人賞はもらったが、正直言ってそこまでの実力はついてなかった。
彼はデビュー当時は可愛かったのだが、すぐ大人びてくる内にアイドル顔ではなくなって、人気が下がってしまった。
彼を見てると6年後、ポニーキャニオンは田原俊彦でブレークするための実験をしていたのかなと思ってしまう。
その後三年ほど芸能界で頑張って、後にミュージカルに転向し、NYで修行。
24歳(85年)に劇団四季のオーディションに合格し、翻訳ミュージカル中心に活躍。
まだ四季の幹部をやっていたのだな。
独立した市村や滝田、鹿賀と比べて線が細いタイプだし、ダンスの名手なので、劇団四季を辞めずにいる方が活躍できる場は広いだろう。
ミュージックフェアでは劇団四季を代表して、慣れない団員をリードして司会の質問に巧みに答えていた。
アイドルの時に培った技術は忘れないものだ。
(再掲示)
荒川務さんの部屋
劇団四季に入ってからは、このサイトが詳しい。
KINNIKUMAN / ROBIN MASK’s Theme
KINNIKUMAN / KENDAMAN’s Theme

次は、NAVレーベルのベスト盤。アイドル時代の荒川つとむの曲が一杯詰まっている!


荒川務 (1974年デビュー)

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