田中絹代が松竹蒲田撮影所へ入ってから戦後、溝口監督の「西鶴一代女」をクランクインするまでを描く。田中絹代を演ずるのは吉永小百合。
おおよそ二部に分かれていて前半は田中が清水宏監督に誘われて松竹蒲田へ入ってから、大幹部になり母親が亡くなるまで。後半は溝口健二監督(劇中では溝内)との出会いと二人の関係を描く。
16歳で京都から家族を引き連れて蒲田撮影所に移った絹代は、18歳の時に清水監督と秘密結婚するが一年余りで別れる。しかし城戸四郎撮影所長と五所平之助、小津安二郎監督らに信頼され21歳の時に幹部に就任し、23歳で日本初のトーキー映画「マダムと女房」に主演する。24歳になった時、林長二郎(のちの長谷川一夫)と共演した「金色夜叉」が大ヒットした。さらに五所監督の「伊豆の踊り子」、島津監督の「春琴抄」と立て続けにヒット作の主演を演じる。一方、家庭的には姉が出奔し、信頼していた母親が亡くなるという不幸が続く。
28歳で「愛染かつら」シリーズの大ヒットに恵まれた。そして30歳の時に京都の溝口健二(劇中では溝内)監督に呼ばれて「浪花女」を主演する。しかし溝口の演出方法は今まで経験したものとは全く異なり、絹代は戸惑うもかえって闘志が湧いてくる。そうして絹代の演技力はますます磨きをかけた。
終戦後、39歳で渡米して帰朝時に洋装したため、アメリカかぶれしたと叩かれ人気をすっかり落とす。そのときスランプに落ちていた溝口に再び京都へ呼ばれ「西鶴一代女」を主演することになる。そこで突然、映画は幕を閉じる。
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田中絹代の偉大さがよくわかる映画だった。普通の人は田中がおっとりした性格だったと思う。しかし実際はもっとあけすけな性格だったようだ。そして営業活動も活発でアイドル時代には次々とヒット映画に出演した。
この映画には昭和映画史、松竹蒲田映画史の側面があった。とくに前半で無声映画からトーキーに移り変わる時代を描いている。当然、見ることのできない映画がほとんどだから勉強になった。
かつて有森成美と中井貴一が主演した山田洋次監督「キネマの天地」を見た。あれは田中絹代がモデルだがフィクションだ。それと違ってこちらはセミドキュメンタリータッチで描いている。
溝口監督と田中絹代の間に男と女の関係があったかどうか。映画ではボヤかされてはいるけれど、関係を暗示してみせた。
市川崑監督も前半の蒲田撮影所、大船撮影所の映像と後半の京都撮影所の映像と音楽をガラリと変えてきた。京都撮影所は溝口風というよりも昔の大映風カメラを少し入れてきた。
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映画のその後を補うと、溝口の「西鶴一代女」はヴェネチア国際映画祭で国際賞を受賞して、日本に初の国際映画賞をもたらし、二人は復権した。さらに溝口、田中のコンビは翌年「雨月物語」でヴェネチア国際映画祭銀獅子賞までも受賞した。
ところが田中が監督に進出するに当たって、五社協定(当時は新東宝が参加)に参加していない日活で撮影することになり、監督協会理事長の溝口と袂を別つことになる。
監督 市川崑
脚本 新藤兼人、日高真也、市川崑
原作 新藤兼人『小説・田中絹代』
製作 田中友幸、市川崑
出演
吉永小百合
森光子
横山道代
常田富士男
石坂浩二(城戸四郎がモデル)
渡辺徹(清水宏がモデル)
中井貴一(五所平之助がモデル)
菅原文太(溝口健二がモデル)
佐古雅誉 (依田義賢がモデル)
平田満
岸田今日子
神保共子
井川比佐志
ナレーター:三國一朗