「愛のメモリー」というと、我々の世代は松崎しげるの歌を思い出す。彼はこの曲を歌って1976年サンレモ音楽祭で最優秀歌唱賞を受賞した(作詞 たかたかし、作曲 馬飼野康二)。ただしその時点では「愛の微笑み」というタイトルだった。翌年、江崎グリコのCMソング(山口百恵、三浦友和出演)に採用されて火が付き、8月に「愛のメモリー」と改題されてシングルレコードとして発売され、その年の紅白歌合戦に出場した。
一方、アメリカ映画「愛のメモリー」は1976年作品だが日本公開は1978年1月である。原題は Obsession、意味は強迫観念や妄想であり、「愛のメモリー」という邦題は映画を見た上での意訳である。国内配給元であるジョイパック・フィルム担当者は当然、歌のことを知っていたわけだから、松崎しげるの大ヒット曲に肖りたくて名付けたのだろう。
あらすじ:
1959年、ロバートと不動産共同事業を営むマイケルの結婚10周年記念パーティーの夜、臨時雇いの給仕らによって妻エリザベスと娘エイミーが誘拐された。金銭を要求されるとマイケルは警察へ通報する。そして警察の指示通り、白紙の身代金の受け渡しに成功する。しかし犯人たちは目の前で妻子を連れて逃亡した。そして燃料を詰め込んだトラックに突っ込んで爆発炎上し、車ごとミシシッピ川の流れに飲まれて消えた。
16年後の1975年、マイケルは商用でイタリア・フィレンツェにいた。妻との思い出の教会へ立ち寄ると、妻に瓜二つの若い女性サンドラと出会い夢中になる。(ちょうど映画上映後30分のところだ) 彼はそれ以来取り憑かれたようになり、ついにサンドラに声を掛けて食事に誘った。話せば話すほどに妻の面影が見えてくる。しかし妻の死因について問われると自分が殺したと答えた。
サンドラの母親の病状が悪化した。病院へ見舞いに行くと、母親はサンドラにマイケルと結婚しろと告げて亡くなる。マイケルはサンドラを連れて帰国する。ロバートを始めとして周囲の人間はみな驚いた。
自宅にやって来たサンドラは、そこに漂う亡き妻の面影を感じて、16年前の誘拐事件について熱心に調べ始める。一方マイケルはロバートに精神状態を疑われ、サンドラに二人きりで明日結婚しようと言う。その夜、マイケルは悪夢を見て翌朝起きるとすぐサンドラの部屋へ行くが、彼女は消えて16年前と同じ脅迫状があった。慌てたマイケルは警察には知らせず会社の権利をロバートに譲って50万ドルの現金を作り、身代金受け渡し場所へ行ってその金を置いて行く。
身代金を取りに来たのは、サンドラとロバートだった。かつて誘拐された娘エイミーは、ロバートに引き渡され父が母を死なせたと教えられ、イタリアで名前をサンドラと変えて暮らしていた。
しかし受け渡し場所にあったのは札束に見せた白紙だった。ロバートはサンドラにマイケルは16年前と同じで身代金をケチったと言ったが、サンドラは既に父親に情が戻っていた。彼女はローマに送り返されるが、機内で手首を切る。ロバートはマイケルに詰問されると白状し、揉み合ううちに刺し殺されてしまう…
始まって20分+αで16年前の事件からイタリアの場面に切り替わる。もうこの辺で、俳優の格から言っても犯人はこいつだ!とわかってしまう。その辺が少し物足りない。もう少し多くの容疑者を用意して欲しかった。
おそらく妻エリザベスが夫マイケルの愛情を物足りなく感じていたように娘エイミーも父親の愛に不満があったと思う。それが証拠に妻のことはサンドラの前で思い出すが娘のことはほとんど思い出していない。そこをロバートに利用されたのであろう。
最後の結末は決してハッピーエンドではない。エイミーはショックのあまり幼児退行したようだ。マイケルも正当防衛の証明には娘の証言を必要とするため、釈放されるまでお金もかかるし苦労するだろう。
この作品は見ればすぐわかるが、パルマ監督にヒッチコックの名作「めまい」に対するオマージュとして作られた。パクリと言わないのは、音楽を同じバーナード・ハーマンが担当しているからだ。
しかし本家「めまい」の出来があまりに素晴らしすぎて、オマージュの方はやや物足りなかった。だいたい同じトリックを二回使うバカがいるか。
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監督 ブライアン・デ・パルマ
脚本 ポール・シュレイダー
音楽 バーナード・ハーマン
配役
クリフ・リチャードソン (「まごころを君に」アカデミー主演男優賞)
ジョン・リスゴー (「ガープの世界)
ジュヌヴィエーヴ・ビュジョルド (「千日のアン」)