「犯人は二十一番に住む」を撮ったアンリ・ジョルジュ・クルーゾーがドイツ占領下のフランスで監督したサスペンス映画。コンチネンタル・フィルムはドイツの製作会社である。
田舎町に暮らす人々が次々と届く匿名の手紙に振り回され、互いに疑心暗鬼に襲われ始め、やがて自殺者まで出てしまう。
ナチスの許可で作られたこのサスペンス映画は、フランスの地方都市の腐敗を描くのが目的だったが、観客を必要以上に不安や絶望に陥れる可能性があるとして上映を禁止された。
主演は「犯人は二十一番に住む」に次いでピエール・フレネ。白黒映画。
あらすじ
田舎町の病院に勤めるジェルマン医師のところに、烏(カラス)のサインがある投書が舞いこんだ。精神科部長ヴォルゼの妻ローラとの不倫を仄めかす手紙であった。それは単なる中傷だった。烏の投書は次々と送られ始めた。入院患者フランソワは烏から末期ガンであると知らされ自殺する。葬式でも烏の手紙が花束に紛れて置かれてあり、人々の怒りは頂点に達する。
ローラの姉で看護婦をしているマリーは、ヴォルゼがローラと結婚する以前に付き合っていた。またマリーはフランソワを担当していて、日頃からハラスメントを行なっていたので、警察から疑われて逮捕された。
しかし烏の投書は止まなかった。ジェルマンが偽医師とか堕胎医であると言う中傷も激しくなった。しかしジェルマンにパリで診てもらったと言う証人が現れた。彼はパリで高名な脳外科医師だったのだ。ついにヴォルゼとジェルマン2人の医師が監督のもと、関係者の筆跡鑑定が行われた。それでも烏は複数犯らしく、同じ筆跡は出てこなかった。
以前から親しくしているドニーズの部屋を覗いたジェルマンは「ドニーズはお前の子を妊娠した」という烏からの手紙を見つける。彼女は自分の妊娠をジェルマンに告げるために、ニセ烏の手紙を書いたのだった。ドニーズは、私よりローラを助けてあげてと言う。
ジェルマンは、ローラの机から烏のサインがある吸取紙を発見する。彼女が烏だったのか!彼女は発狂していると認められ、責任能力がないとして精神病院に収容された。
ジェルマンがドニーズの元に帰ると、彼女に大きな間違いを指摘される。そこでヴォルゼの部屋を再び訪れると、彼は殺されていた。烏はヴォルゼであり、妻ローラに無理やり手伝わせて、手紙を共同で書いていたのだ。彼の喉を切ったのは、最初の被害者フランソワの母だった。
雑感
原題 “Le Corbeau” = カラスと言う単語には、フランス語で匿名の手紙(投書)の意味がある。
名作サスペンスだ。ヒッチコックと並び称せられるアンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督だから最後にまだどんでん返しがあると思ってたら、その斜め上をいく出来だった。
ただし映画自体はあちこちにミスリードがあり、誰しも犯人である可能性はある。だからこれを探偵映画とは言えない。
そもそもフランス人は、合理主義によって犯人を推理することに興味がない。この映画のように、英国的な推理方法より女の勘の方を信じている。
守秘義務を盾に患者から噂や情報を集めやすいのは警察より医者特に精神科医だ。その人物の発言に沿って考えると、自供しているのと同じことだった。
1942年6月に戦時中の英国でアガサ・クリスティがミステリ小説「動く指」を出版したが、前半の内容がこの映画「密告」(1943年9月公開)と酷似している。
どちらも町中に匿名の手紙が届き始め、自殺者が出る。「動く指」が違うのは、その後すぐ他殺体が発見されること。
「密告」では最後の最後になって一人が殺されるが、それが犯人自身なのだ。
普通だったら、ナチスや脚本家ルイ・シャバンスがクリスティをパクったことになる。しかしヴィシー政権下のフランスで、英国とどの程度の情報交換ができたのか不明だ。
もしかしたら、この時代には英国人もフランス人も監視されているような気持ちになっていたのかもしれない。フランス人が隣人によってゲシュタポに密告されて強制収容所に送り込まれる恐怖を味わっていたように、英国人も隣人がナチスのスパイだと思っていたのではないか。開戦当時、親ナチ派の英国人は有名政治家を含めて大勢いたのだから。
この映画がナチスによって上映禁止になったのは、もっとフランス人を楽しませる、娯楽性の高い作品を期待していたのに、出来上がったものが、ヴィシー政権下でのフランス人の監視される日常を的確に描いていたからではないかと思う。
フランス人がこの映画を見てクルーゾー監督を拒絶したと言っている人があるが、それは一部に過ぎず、親ナチスかあるいは自由を求めないフランス人だろう。
大体、主人公の苗字がジェルマン(フランス語でゲルマン民族の意味)である。理屈っぽい主人公は飛んだ間違いをしでかし、ドニーズに指摘されるまで真犯人が分からなかったのだ。犯人の苗字もフランス語のような綴りだがオランダ語で「いっぱいの」を表す単語でもある。露骨な暗示に、ナチスやゲルマン民族批判が隠されている。アンリ・ジョルジュ・クルーゾーは戦時中ナチスに協力したと言われたが、実際は干されたのだし、この映画を見る限り最大限に抵抗していたと思う。
これはヴィシー政権下での映画なのに、戦時中に日本で公開されず戦後になってからフランス映画輸入組合(のちの新外映配給)によって輸入公開された。ヴィシー政権フランスは、ドイツの傀儡政権であり、日本と同じ枢軸国グループだから、戦時中も日本はフランス映画を輸入することはできた。従って昔の人は英米映画よりフランス映画やドイツ映画に郷愁を感じていた。この映画が戦後になって初めて公開されたことが、何よりこの映画の持つ本当の意味を表している。
なお1951年にオットー・プレミンジャー監督により映画「The 13th Letter」(十三番目の文字)としてリメイクされた。
スタッフ
製作 ルネ・モンティ、ラウール・プロカン
監督 アンリ=ジョルジュ・クルーゾー
脚本 ルイ・シャバンス
撮影 ニコラ・エイエ
キャスト
ジェルマン医師 ピエール・フレネー
ヴォルゼ医師(精神科) ピエール・ラルケ
ローラ・ヴォルゼ夫人 ミシュリーヌ・フランセ
マリー看護婦(ローラの姉) エレナ・マンソン
ドニーズ(校長の妹) ジネット・ルクレール
癌患者フランソワの母 シルヴィー
校長の娘ローラン リリアン・メーニュ
校長 ノエル・ロックヴェール
地方検事補 ベルナール・ランクレ
ドマルケ医師 アントワーヌ・ベルぺトレ
ベルトラン医師 ルイ・セーニェ
ボネヴィ事務長 ジャン・ブロシャール