都会に居場所を失った刑事と、容疑者の盲目の姉との出会いと別れを描くフィルム・ノワール。
製作はジョン・ハウスマン、監督はニコラス・レイで、ジェラルド・バトラーの原作を基にしてA・I・ベゼリデスが脚色した。撮影はジョージ・E・ディスカント、音楽はバーナード・ハーマンが担当。出演はロバート・ライアン、アイダ・ルピノほか。

 

あらすじ

 
ニューヨーク市警本部でも荒っぽい捜査手法で非難を受けているジムは、証人マーナが殺されてしまい、一時的に山村に出向を命じられる。雪しかないような山村で起きた幼女刺殺事件の捜査にかり出されたのだ。そこではライフルを持った被害者の父ブレントが復讐するために自警団とともに山狩りを行っていた。ジムとブレントは山中に灯の就いた一軒家を見つける。そこには盲目のメアリーがいたが、犯人については知らないという。ブレントは外に探しに出たが、メアリーはジムに、犯人は障害者の弟であり、保護して欲しいと頼まれる。戻ってきたブレントには何も言わず、ジムはブレントとその家に一晩泊まって翌朝また探しに出ることにする。

 
翌朝早い時間にメアリーが起きて家から出て行くのに気付いたジムは後を付ける。メアリーは地下室に弟ポップを匿っていた。ジムが踏み込むと、ポップは何かを語りかけたが、そこへブレントがやって来たものだから、慌てて逃げ出した。ジムはブレントのライフルを遠くへ放り投げてポップを追った。山頂に追い詰められたポップは誤って墜落死する。ブレントもポップが少年なのを見て呆然としてしまう。メアリーの期待に添えず謝罪するジムに対して、彼女は「盲目の私にとって弟が全てだった」と答える。ジムはその場を立ち去るが、都会に戻ってきて自分にとってメアリーが大切な存在である事に気付き、再び山に向かう。
 

 

雑感

「危険な場所で」という邦題は直訳だが、台詞を読めば「孤独な場所で」と言う邦題の方が相応しい。ところが日本ヘラルド映画が既に、同じニコラス・レイ監督の映画「In a Lonely Place」(ハンフリー・ボガードとグロリア・グレアム主演)を「孤独な場所で」と訳して輸入したものだから、使えなかった。あちらの映画は「さびしい場所で」で良かったのだ。
 
この作品は二年間放置され、お蔵入りになりかけた。そこでエンディングAからBへ差し替え、後半に起きるはずのマーナの死を前半に移した結果、RKOハワード・ヒューズ社長の許可が下りたらしい。だからフィルムの繋がりが妙なのだ。
エンディングAとはニコラス・レイ監督が撮影したもので、ジムにとって全く救いのない終わり方。
ちなみに主役の一人アイダ・ルピノも一部監督をしている。表向きはニコラス・レイが病気休養したためとあるが、肺ガンが胃に転移しても、どんなに痛くても映画を撮り続けたニコラス・レイが病気ぐらいで休養するなんて考えにくい。プロデューサーに降ろされて、最後だけ、アイダ・ルピノに監督を交替させられたのではないか。

 
A・I・ベゼリデスの台本がニコラス・レイによって現場で手を入れられてすっかり変えられた上に、ハワード・ヒューズが口を挟んで、原作とは似ても似つかぬ物になった。こういう場合は大概失敗するものだ。
この作品の場合は、カットしすぎて穴だらけだし終わり方はベタだったが、原作を知らない者は俳優としてのアイダ・ルピノにすっかり感情移入していたから、かえって良かったのではないか。少々の脚本の穴は演技でなんとかなるものだ。IMDBでも7.3点を取っているのだし。
 

 

スタッフ・キャスト

 
監督 ニコラス・レイ アイダ・ルピノ(クレジット無し)
製作 ジョン・ハウスマン
製作総指揮 シド・ロジェール
原作 ジェラルド・バトラー
脚本 A・I・ベゼリデス
撮影 ジョージ・E・ディスカント
音楽 バーナード・ハーマン
 
配役
刑事ジム   ロバート・ライアン
犯人の姉メアリー   アイダ・ルピノ
被害者の父ブレント   ワード・ボンド
ポップ    チャールズ・ケンパー
マーナ    クレオ・ムーア

危険な場所で On Dangerous Ground 1951 RKO製作・配給 IP映画国内配給

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