加東大介が太平洋戦争でニューギニアで体験した演芸班の記録(文芸春秋刊)を小野田勇がNHKでテレビ劇化、その戦中編だけを笠原良三が映画脚本化した戦争喜劇。
監督は久松静児、ロケは指宿で行ったようだ。
主演は原作者の加東大介。共演は伴淳三郎、有島一郎、西村晃。女っ気は皆無の軍隊映画でカラーシネスコ映像を使用。
あらすじ
昭和十九年秋、西ニューギニアの首都マノクワリにいた日本軍は連合軍に補給経路を絶たれた。敵の空爆により兵士の数は7000人に減った。兵士に生きる希望を与えんと演劇評論家で司令部付きの杉山大尉と小林参謀は、連隊長浅川中将の支持を得て、演芸班(別名:お役者部隊)を創設することになる。前進座に在籍する加藤軍曹(衛生兵)を班長に据えて、村田大尉と共に経験者を選抜した。
初回公演の演しものは、菊池寛原作「父帰る」だった。公演準備中にピアノが届いた。東ニューギニアのワルパミチ部隊の生き残り坂田伍長が食糧を取りに来て、ピアノを弾きたがる。弾かせると、戦前はピアニストで何とジャズで華麗に弾きこなす。加藤班長はこちらに残ってと頼むが、仲間が腹を減らして待っていますから言って森の中に消えていく。
初回公演は大成功になり、次に浅川中将は常打ちの劇場建設を了承する。昭和20年4月29日(昭和天皇誕生日)に手作りの「マノクワリ歌舞伎座」がコケラ落し興業を行う。公演中、突如空襲警報が鳴り響く。しかし誰一人、立ち上ろうとしなかった。村田大尉の叱声で初めて観客は腰を上げて防空壕に逃げ出す。
空襲の脅威が去って、再びワルパミチから一人小林伍長が遥々やって来た。聞くと坂田伍長はあの後すぐ戦死したそうだ。
ある時、明日部隊が危険地域に進むと言う森中隊長がやって来て加藤班長に頼みがあると言う。中隊長は隊員に「五木の子守唄」を歌いたいと言うのだ。中隊長が子守の姿で舞台に立つと、隊員はやんやの喝采を挙げるが、中隊長の哀愁漂う歌に涙する。
「マノクワリ歌舞伎座」は無事に興行を続けていた。しかし救援軍は来ず、マラリアで倒れる兵士も多かった。浅川中将は、東北の兵士が多いため「瞼の母」のラストシーンで雪を降らせろと無茶な注文を出す。舞台中にパラシュート用の絹を播いて白一色にして上から紙を撒くと、兵隊たちの中から歓声が上った。その中で加藤軍曹扮する番場の忠太郎と母おはまの親子対面の場がくりひろげられた。兵の中には中将の温情でワルパミチから遥々やって来た舞台もあった。その中には今にも死にそうな兵士がいて、雪を見たいと言っていたが、思いが叶って息を引き取った。
その後戦争は終わっても、翌年の夏に引き揚げ船が来るまで、「マノクワリ歌舞伎座」を公演を続けた。
雑感
空襲のシーンは一回だけあったが、それ以外はバトルシーンは全くない。
盛り上がりはあまりないが、心温まる良い話だ。司令官の浅川中将(志村喬)や参謀、将校たちは人情の機微を知り、人心掌握に長けた人だったんだろう。でなければ、戦況が絶望的なのに演芸班なんて思いつくわけがない。
また何か打ち込むことがあれば、生きる気力につながるものだし、身近に芝居小屋があるだけで、生きていられるものなのだ。
ただ食い物にはそれほど困っていたわけではないようで、芋は栽培して、バナナや蜥蜴のスープで命を繋いでいたようだ。元が40000人の部隊だったから、色々な備品が残っており、最後はそれらを着物や鬘として舞台用に使わせてもらった。
僧侶(曹長)は有島一郎が演じたが、実は小林よしのりの祖父だそうだ。
劇中で佐原健二が歌っているシーンの吹替は、岡晴夫が勤めている。
スタッフ
製作 佐藤一郎 、 金原文雄
原作 加東大介
劇化 小野田勇
脚本 笠原良三
監督 久松静児
撮影 黒田徳三
音楽 広瀬健次郎
キャスト
加藤軍曹 加東大介
蔦山一等兵 伴淳三郎
篠崎曹長 有島一郎
前田一等兵 西村晃
村田大尉 織田政雄
杉山大尉 細川俊夫
小林少佐 三橋達也
青田上等兵 渥美清
大沼一等兵 桂小金治
北川上等兵 佐原健二
叶上等兵 近江俊輔
塩原上等兵 和田孝
中原一等兵 ロリー小林
坂本一等兵 どんぐり三太
浅川中将 志村喬
特別出演
森大尉 森繁久彌
小林伍長(ワルパミ) 小林桂樹
二木上等兵 三木のり平
坂田伍長 (ワルパミ)フランキー堺