谷崎潤一郎の小説「卍」をレズビアン小説と、読まないうちからレッテルを貼っている人は、一度この増村保造監督作品を見た方が良い。単なる同性愛ではなく、異性愛だけでもなく、中性的な愛まで取り揃えた「愛のデパート」であり、こんなものを扱う小説はいつの世でも文芸作品と言われる。
脚本は新藤兼人、撮影は市川崑作品をはじめ様々な名作に参加した小林節雄
主演は若尾文子、愛人役であり語り手は岸田今日子、共演は船越英二川津祐介三津田健

あらすじ

園子は先生のお宅へお邪魔した。そして抱えてきた秘密を全て打ち明ける。
園子は弁護士を開業している夫孝太郎と肌が合わなくて、美術学校に通っていた。ある日、観音像を描く課題が与えられて、園子は思わずお顔を理想的な女性の顔に描いてしまう。それが洋画科の光子にそっくりであったことから学校中に二人の噂が流れる。そのおかげで二人のつながりは強くなる。
光子は観音像の絵の体の部分を書き直して欲しいと言う。園子の家にやって来た光子は渋々裸になる。そして光子にも裸を見せろと要求する。光子は恥ずかしいが、少し嬉しいのだ。やがて二人は同性愛関係になる。孝太郎も薄々勘付いて、光子との交際を辞めるように再三再四注意する。
しかし光子には綿貫という婚約者がいて妊娠までしていると知り、光子に裏切られたと信じてしまう。しかし光子によると綿貫は、幼時の病気が災いして最初から不能だった。妊娠するわけがないのである。
綿貫は園子に、光子を二人で共有しようともちかけ、契約書に血判を押させる。だが光子は、園子を綿貫が陥れたと言う。光子は綿貫を嫌になっていたが、綿貫がその契約書をマスコミに持ち込むと言い出す。
光子と園子は綿貫と孝太郎を排除するため、睡眠薬自殺をした。自殺と言っても量を調整してるから1、2日で目覚めるはずだった。
目覚めたとき、園子の記憶に薄ぼんやりとあったのは、先に目を覚まし自分を看護する光子と園子の夫孝太郎が男女の関係になったことだった。夫はつい出来心と言って、土下座をして謝る。
ここに光子と孝太郎、園子の新しい三角関係が成立した。毎日光子は園子の家に来て、二人が寝るまで一緒にいる。そして二人に睡眠薬を飲ませ、セックスをせずに眠ったのを確認してから帰るのだった。
ところがある日、綿貫が誓約書のコピーを新聞に売ったのだ。スキャンダルは瞬く間もなく広まり、弁護士事務所も閉鎖した。三人には、死ぬことしか手はなかった。
園子が書き直した観音像に拝みながら、3人並んでベッドで致死量の睡眠薬を飲んだはずだった。だが翌日、光子と孝太郎は息絶え、園子だけが生き残った。一人だけのけものにされたのだろうか。園子の疑念は強く、後追い自殺する気にならず、先生に話を聞いてもらいに来たのだ。

 

雑感

若い頃に読んでもエロしか思い浮かばず、最後の結末の意味がわからなかった。でも今なら大体わかってしまう。

これは支配と被支配の問題だ。異常な状況に置かれるとなりやすい。

光子は自殺志望を持つバイセクシャルなのだが、これは女王様としてホモの園子もヘテロの夫も支配できる立場だ。
性的不能者=中性的な綿貫も、以前は光子を理不尽に支配していた。しかし光子は孝太郎に抱かれることにより、綿貫から自立した。そして綿貫は自分を仲間外れにした腹いせに契約書を新聞社に売ったのだ。
こうなると死を選ばざるを得ない(原作は1928年に書かれている)。そこで光子は睡眠薬を加減して、孝太郎だけを道連れに心中した。要するに光子は男性経験がなかったからレズビアンに走っただけで、おそらく本質的にヘテロであり、異性とともにあの世へ行くことに憧れ始めたのだろう。
園子は光子の洗脳を受けたわけでなく、いつも客観的であり、光子の思うままにやらせても様子を見ようと言う冷静さを忘れてはいなかった。
一方、孝太郎は逢瀬を重ねるごとに光子に完全に洗脳されたようだった。

女中梅子と仲居春子のいやらしい笑い方が心に残る。

ヌードシーンはほぼ代役を使っている。全然エロではない。

先生役の三津田健は最後までほとんどセリフがなかった。これでも文学座創立メンバーの一人で戦前は代表者だったのだ。戦後も理事を続け、主要な舞台の役を演じながら、テレビや映画の脇役も演じていた。それにしても谷崎潤一郎をモデルにした役で多少のアップはあるが、セリフなしとは。とんだ役を引き受けたものだ。

キャスト

企画 斎藤米二郎
原作 谷崎潤一郎
脚色 新藤兼人
監督 増村保造
撮影 小林節雄
音楽 山内正

スタッフ

徳光光子 若尾文子
柿内園子 岸田今日子
夫柿内孝太郎  船越英二
綿貫栄次郎  川津祐介
美術学校校長 山茶花究
徳光家の女中梅子 村田扶実子
柿内家の家政婦清子 南雲鏡子
待合茶屋の仲居春子 響令子
先生 三津田健

卍 1964.7 大映製作・配給

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