京マチ子が95歳で亡くなった。最近、仲代達矢の対談を読んでいると「彼女はドライなタイプで同い年の高峰秀子の方がよほど怖かった、今度京と飲みに行く約束をした」と書いてあったので、お元気だと思っていたが、ぽっくり逝ってしまった。先日、ロミー・シュナイダーが自然な演技を見せると言ったが、京マチ子のように国際映画賞を片っ端から取るような人は、本当に舞台(OSK)育ちのスケールの大きな演技をしていた。と同時に戦前生まれにしては脚が長い最初のナイスバディー女優だった。ご冥福をお祈りする。
急いでDVD「千羽鶴」を観た。これは京マチ子でも若尾文子でもなく梓英子目当てに買ったものだ。梓英子はピンク映画出身にも関わらず松竹、東映、大映のメジャー映画から次々とお呼びがかかり青春女優で売った後、テレビの新妻役で爆発的人気 (竹脇無我の清水次郎長、西郷輝彦のどてらい男) になった女優さん。紅白歌のベストテンの進行も一時していた。本当に可愛らしくてほのかな色気があってデコッパチだった。人気絶頂で結婚してNHK朝ドラ「風見鶏」に出演した後、引退してしまった。あの頃のテレビ女優と言えば大原麗子、梓英子と菊容子のことを思い出す。
川端康成の原作は名作で1952年に芸術院賞を受賞した、女たちの底知れぬ嫉妬と母と同じ人を愛してしまった娘の苦悩を描く作品である。続編「波千鳥」も書かれていたが、原稿を盗まれて未完に終わっている。
翌53年主演木暮実千代(太田未亡人)、乙羽信子(娘文子)、森雅之(三谷)、杉村春子(ちか子)、監督吉村公三郎、脚本新藤兼人で「千羽鶴」は、映画化されている。(残念ながら未見)
1969年になって出演者の若尾文子(太田未亡人)、梓英子(文子)、平幹二朗(三谷)、京マチ子(ちか子)に監督増村保造、脚本は再び新藤兼人で満を持してノーベル賞受賞記念作品として再映画化したのだ。
そのときの大映特報で1968年にノーベル文学賞を受賞した川端康成宅を和服姿の若尾文子、梓英子、南美川洋子が訪問して花束を贈答するシーンが映っていた。
あらすじ
三谷はお茶の師匠ちか子に呼ばれて茶会に出た。そこには太田未亡人と娘の文子も来ていた。実はちか子も太田未亡人も亡父の愛人だった。その帰途、太田未亡人に呼び止められる。三谷は最初太田に醜悪さを感じていたが、彼女が弱い女性と知るといつの間にか体を合わせていた。その後も何回か会った。
ある日、文子がやって来た。母が先日すっぽかしたお詫びに来たという。文子に行かないでと言われて、母は行けなかったのだ。
数日後、ちか子が三谷の自宅茶屋の大掃除をすると言う。その後、見合い相手を連れて来た。しかし三谷にはまだ結婚するつもりはない。
そして冷たい雨が降る夜、太田未亡人がやつれて青ざめた顔をして三谷の家にやって来た。
雑感
原作は読んだ人ならわかるだろうが、主役は平幹二朗でヒロインは梓英子のはずだ。
ところが映画になると、梓英子を次世代のスターにしてやろうと誰も思ってない。母親役の若尾文子は若い精を求めて平に迫る鬼女のごとき迫真の演技を見せるし、歳を取って色気は無くなったが過去の太田未亡人に対する嫉妬だけで生き長らえた京マチ子 が怖かった。最も怖かったのは、京マチ子に顎で使われるお手伝いの北林谷栄がいつお茶に農薬を入れるのだろうか?w
つまり増村保造と新藤兼人は大映の経営がどうにもならない状況でも、若きヒロインでなく二大女優を撮ることを考えて、とくにベテラン京マチ子を中心に据えて撮ることを選んだのだ。それが映画マンの業だろう。
そして大映は破産宣告を受けて、分厚い大女優の壁を越えることはできなかった梓英子は映画界を見捨てて、ドラマの世界で花開いたのである。
スタッフ・キャスト
監督 増村保造
製作 永田雅一
原作 川端康成
脚色 新藤兼人
企画 藤井浩明
撮影 小林節雄
音楽 林光
配役
三谷菊治 平幹二朗
太田未亡人 若尾文子
太田文子 梓英子
栗本ちか子 京マチ子
菊治の父 船越英二
とよ 北林谷栄
稲村ゆき子 南美川洋子