ラジオの音質に目覚めたのは小学6年ぐらいだったか。まず二階の物置から使われなくなったトランジスタラジオを見つけて聴き始めた。音は実にまろやかだった。
応接間のアンサンブルステレオはまだ健在だったが、場所的に一人で聴くには不向きだった。
二階に上がり、一人秘かに聴くラジオはやがて私を甘美でほろ苦い思春期へと誘った。
祖母宅へ行くたびに真空管ラジオを聴かせてもらい、ノスタルジックな響きに酔いしれたのもその頃である。
尋ねたことはないが、あれで祖母は「君の名は」を聴いていたのだろうか。
(「君の名は」は昭和27年からNHKが放送した菊田一夫原作ラジオメロドラマ。風呂屋から客がいなくなると言われるほど大ヒットした。冒頭の有名なナレーションは来宮良子で「スケバン刑事」や大映ドラマのナレーションでも有名)

中学に進学し、優秀だが生意気な正確が故にいじめにあって、学校生活にはなじめなかった。
そのことが一層ラジオに没入させるきっかけとなった。
ナショナルのクーガー1150を進学祝いに勝ってもらい、BCL活動にも参加した。

 

このRX(レシーバー)は短波1.6MHzから30MHzまでを三つのバンドに分割し、短波専用アンテナ端子を用意しているほか、中波は大型ジャイロアンテナの向きを自由に変えることにより室内でも安定した遠距離受信が可能である。FM放送はモノラルだが、スピーカー口径が16cmあり迫力ある再生音を楽しめた。

ラジオ局や番組でもっとも好きだったのは、毎日放送「ヤングタウン」とラジオ・オーストラリア、英国BBC、ドイチェ・ヴェレの日本語番組だった。
当時ラジオ・オーストラリアのポップス番組は欧米より進んでいて、地元のAC/DCやオリビア・ニュートン・ジョンの情報はもちろんの事、スウェーデンでしか人気がなかったABBAがヒットチャートを賑わせていた。日本から英国のバンド・クイーンがブームになったように、英米は日豪を後追いする形になった。

中学2年は楽しく学校に行っていたが、3年になってまた嫌になった。そこでクーガー2200を購入して本格的にラジオ生活に没入した。短波専用アンテナにはメーカーは忘れたが3mものバーチカルアンテナを屋上に立ててケーブルを部屋に引き込みナショナルのアンテナカップラーを購入して、アースもきちんと取った。しかしあまり英語局は聞かなかったので、英語の勉強にはならなかったようだ。

 

ナショナルを使っていたが、ソニーのスカイセンサーには興味がなかった。選択度はソニーの方が高かったが、音の迫力がなかった。自分にとってBCLとは受信の難しい局をノイズの中で苦労して聴取するものではなく、容易な局を気楽に楽しむものだった。だから音質が重要だったのだ。

またステレオ放送より迫力のあるモノラルを愛した点で同級生と大きく違った。このことはいまだにオーディオのワイドレンジが好きになれないことと関係している。

高校に入ってからは八重洲無線のFRG-7を導入した。

しかしさすがに受験勉強でラジオを聴いている暇は少なくなった。

アマチュア無線について少し勉強したが、見知らぬ他人としゃべるのが苦手だったので、受験しなかった。

ラジオの思い出

投稿ナビゲーション