メアリー・オハラ原作小説による「マイ・フレンド・フリッカ」(1941)を基に、リリアン・ヘイウッドらが脚本を書いてハロルド・D・シュスターが監督した作品。
「名犬ラッシー」と同じ時代にアメリカで人気があった動物映画である。
馬を生産する牧場の話で、出来の悪い一人息子が一頭の子馬と心を通わせ強く成長していく物語。

監督は、ハロルド・D・シュスター
主演は、名子役ロディ・マクドウォール
共演は、プレストン・フォレスター、リタ・ジョンソン
カラー映画。

あらすじ

ワイオミングで馬を育てる牧場主ロブは、妻ネルのアイデアにより、出来の悪い息子ケン(10歳)に責任感を学ばせるため、仔馬を一頭与える約束をする。ケンは、群れのボスであるバナーと高速牝馬ロケットの間に生まれた尾花栗毛の牝馬を選び、フリッカ(スウェーデン語で娘の意味)と名付ける。やがて牧場の経営難のためロケットは、競走馬として売られるが、輸送中に暴れて転倒し亡くなる。ロケットには狂気の血が流れていた。ロブはフリッカを飼うのは辞めた方が良いと警告したが、ケンは聞かなかった。

フリッカは、最初のうち母を失った悲しみからかケンの言うことを聞く様子がなく、母親のように脱走しようとしてワイヤーに絡んで倒れる。起きられなくなったフリッカをケンは、必死に世話をする。その様子を見てフリッカも次第に心を開き始め、体を触らせるようになる。
しかし、フリッカの傷は化膿していた。フリッカは高熱を出し、苦しみ出す。ロブは、フリッカを安楽死させるため射殺しようとするが、ケンはあと少し待って欲しいと頼む。ケンは、徹夜でフリッカを看病するが、そのために風邪を拗らせて倒れてしまう・・・。

雑感

この映画は、日本では知られていなかったが、戦中児童文学として人気の原作小説を、20世紀フォックスが初映画化した作品である。2006年のリメイク作「フリッカ」を切っ掛けに知られるようになった。

競馬マニアに突っ込まれるほど、考証として甘い点が多々ある(例えば血統の問題、ロケットの馬運車事故など)。子供映画だからその辺は敢えて突っ込まない。

しかし、敗血症の馬を安楽死させないというのは甘すぎる。生かすことはできるが、起きられなくなるから体が壊死し始めるはずだ。馬への甘やかしが、決して馬のためにならないことを、テンポイントは我々に教えてくれたと、今になって知った。この点をハッキリと描けば、この映画も大人の鑑賞にたえる不朽の名作となっただろう。
日本では監督山本嘉次郎、脚本黒澤明、主演高峰秀子(制作当時15歳)による「馬」という名作映画が1941年に作られている。

ロディ・マクドウォールは、ナチスのロンドン大空襲により英国から米国に避難してきた。1941年20世紀フォックスの「わが谷は緑なりき」に出演し、主役とも言える末っ子役を演じて話題になる。さらに1943年にMGMの「名犬ラッシー/家路」と20世紀フォックスの「マイ・フレンド・フリッカ/緑園の名馬」に主演して、名子役の名を恣にする。「名犬ラッシー/家路」の頃と比較して、ロディの様子はずいぶん大人に見える。かなり後に撮った作品だろう。

スタッフ

監督  ハロルド・D・シュスター
製作  ラルフ・ディートリッヒ
脚本  リリー・ヘイウッド
脚色  フランシス・エドワード・ファラゴー
原作  メアリー・オハラ 「マイ・フレンド・フリッカ」(1941年刊)
音楽  アルフレッド・ニューマン
撮影  デューイ・リグリー

 

キャスト

ケン・マクローリン  ロディ・マクドウォール 
父ロブ        プレストン・フォスター
母ネル        リタ・ジョンソン
助手ガス       ジェームズ・ベル 
ガスの娘ヒルディ   ダイアナ・ヘイル 
ティム・マーフィー  ジェフ・コーリー  
チャーリー・サージャント  アーサー・ロフト 

 

***

ロブは、これまでだと覚悟を決めて、フリッカを撃とうとする。そのとき、フリッカはロブに何かを語りかける。ハッと気付いてロブが後ろを見ると、獰猛なクーガーがロブとフリッカを背後から狙っていた。すかさずロブは、クーガーを射殺する。これまでフリッカをキチガイだと決めつけていたロブは、彼女が人と感情を共有できる馬だと知る。

眠っていたケンは銃声に気付く。フリッカが射殺されたと思い込み、ケンは悲しむ。
ケンは起きられるようになってから、ロブに連れられてフリッカを世話していた場所に立ち寄る。すると死んだはずのフリッカが元気になって、ケンを迎えてくれた。ロブが、寝ずの看病をしてくれたのである。

 

マイ・フレンド・フリッカ/緑園の名馬 My Friend Flicka (1943) 20世紀フォックス製作・配給 日本未公開

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