同性愛などLGBTがどのように映画界に受け入れられたかを俳優や脚本家、観客のインタビューで解き明かすドキュメンタリー映画。
監督は、二度アカデミー賞を獲得したロブ・エプスタインと、エプスタインのパートナーであるジェフリー・フリードマン。
ナレーションは、レズビアンであるリリー・トムリン。
あらすじ
◎プリ・コード時代はゲイらしきものは映画に登場したが、コメディアンの芸の一つであり、実際のゲイと見なされなかった。
フレッド・アステア、ジンジャー・ロジャースが主演した名画「コンチネンタル」に登場するシシーが、最初のゲイと考えられる。
◎1930年代に男装の麗人が流行ったことがある。映画「モロッコ」のマレーネ・ディートリッヒや、れ「クリスチナ女王」のグレタ・ガルボである。(それを受けて、日本、満州でも川島芳子が現れた)
◎しかし、1920年から1930年代にかけて、保守派圧力団体の猛烈な反対運動が起き、ついに郵政長官であるウィル・ヘイズがヘイズ・コードという映画の倫理規定を作る。この規定は、初めこそ機能していなかったが、1934年カトリック教会が圧力を掛けて、規定を守ることを義務付けた。検閲官としてジョー・ブリーンが、20年間脚本の検閲を行ない、内容の変更まで大幅に求めた。
◎1940年から50年代は、ホモセクシャルを思わせる表現がよく見られたが、必ずぼやかした。従って、その芝居の意味をずっと分かっていない観客も多かった。
例えば、「レベッカ」の女中頭ダンバース夫人は、生前のレベッカを愛していた。「マルタの鷹」のガーデニア(ピーター・ローレ)は見るからにゲイである。ヒッチコック監督の「ロープ」の犯人もゲイの二人組。この話は実話で、モデルも実在の人物である。
カーク・ダグラス主演の「情熱の狂想曲」で妻役のローレン・バコールはバイセクシュアルである。
「お茶と同情」でも、ゲイの少年と寮監夫人(デボラ・カー)の交流が描かれる。
「理由なき反抗」では、最後に撃たれる友人プレイトウがゲイである。
「ベンハー」で政敵マサラ護民官は、ベンハーを愛していた。監督がチャールトン・ヘストンに真実を告げると撮影をボイコットしかねないから、マサラ役のスティーブン・ボイドにだけ脚本家が明かした。
「カラミティジェーン」「大砂塵」にも男装の麗人が、出てくる。
「赤い河」でモンゴメリー・クリフトとガンマンが、自分の銃を見せ合うシーンがあるが、ゲイ文化の中で銃を見せ合うということは意味深である。
「百万長者と結婚する方法」でボディビルダーたちは、歌っているジェーン・ラッセルに全く関心を寄せない。
◎しかし芝居にセックスが絡むと、検閲は大胆な変更を余儀なくされた。
映画「スパルタカス」では、トニー・カーティスとローレンス・オリビエが一緒に風呂に入るシーンがあり、オリビエが「私は、カタツムリも牡蠣も好きだ」という。これはバイセクシュアルの比喩だが、検閲にカットされた(現在は公開された)。
「熱いトタン屋根の猫」主人公は妻帯者ながら、スキッパーとゲイの関係にあった。スキッパーが死んで主人公は、腑抜けになってしまった。ところが、脚本の改変でよくわからなくなった。
テネシー・ウィリアムズが戯曲を書いた1959年の映画「去年の夏突然に」で、モンゴメリー・クリフトの役はホモなのだが、そこもカトリック教会が検閲して、目茶苦茶にしてしまった。
◎60年代からゲイを正面から取り上げた英国映画「Victim」が登場する。
それに応じて、ハリウッドもホモ・セクシャルを映画のテーマとして捉えるようになった。しかし、ホモは必ず不幸な死に方をするお約束だった。
「噂の二人」では、シャーリー・マクレーンは自殺するエンディングを当時受け入れたが、後世になって生きていく方法はなかったのかと考えている。
1962年の「荒野を歩け」は、娼館の女主人ジョーに囲われた美しいハリー(女性)とテキサスからの流れ者ダブの物語。最後にハリーは撃たれる・・・。
雑感
我々は幼い頃、互いに男と女の区別もつかず、一緒に風呂に入っていた。その時点で、幼児というものは、ホモセクシャルでもヘテロでもない。遅くとも幼稚園に入る頃までに男女の役割分担を教えられると、自分が生物学的に男か女か気づくようになる。そして男は女を、女は男を好きになり始める。
ところが、初めから男を好きになれない男や、女を好きになれない女がいる。またバイセクシュアル、つまり小学校の頃まで女の方が好きだが男も好きになる男、男も好きだが女も好きになってしまう女がいる。さらに、女のように振る舞うことが好きな男や、男のように振る舞うことが好きな女もいる。
大部分は第二次性徴期が来たら、そんな同性愛感情は忘れてしまう。しかし、第二次性徴が来ても幼い頃のままの感情を抱く人間がいるようだ。それは、幼稚と違いその人の個性らしい。我々ヘテロは、知らず知らずのうちに、抑制されているのだろう。ホモセクシャルは、自由奔放にクリエイティブな仕事をできる人が多いようだ。例えば、作家、脚本家、画家、音楽家、俳優などである。
この映画は、決して特定の俳優がホモかどうかを話題にするために作られたのでない。映画の中でLGBTのキャラクターをどう扱ってきたかを描いているドキュメンタリーだ。
インタヴューに、LGBT映画に出演したトニー・カーティス、黒人とゲイは同じマイノリティと語るウーピー・ゴールドバーグ、ファーリー・グレンジャー、シャーリー・マクレーン、トム・ハンクス、スーザン・サランドンなどの有名俳優たちが答えてくれる。
さらに1950年以降の映画脚本家、監督たちもその内幕を語る。
フィルムは、16ミリを使って古い映画とギャップが生じないように工夫している。
出てきた映画を大体見ていたのには驚いた。それでも忘れていたシーンはいっぱいある。
昔は、同性愛に走ったにとの中に若くして絶望して自殺した人間は多かった。沖雅也もそうだった。
でも最近は、美輪明宏みたいに長生きしている人をよく見る。有名人だから、仕事をして蓄えもあるのだが、エイズの流行以来、健康管理を大切にしているようだ。
スタッフ
監督、製作、脚本 ロブ・エプスタイン、ジェフリー・フリードマン
製作総指揮 リリー・トムリン、ハワード・ローゼンマン、バーニィ・ブリルステイン、フレッド・グレイ
原作 ヴィット・ルッソ
脚本 シャロン・ウッド
撮影 ナンシー・シュライバー
音楽 カーター・バーウェル
キャスト
トニー・カーティス
ウーピー・ゴールドバーグ
ファーリー・グレンジャー
シャーリー・マクレーン
アントニオ・ファーガス(「グリニッジビレッジの青春」の黒人ゲイ役)
トム・ハンクス
スーザン・サランドン
ハーヴェイ・フィアスティン(俳優、脚本家)
クエンティン・クリスプ(俳優、作家;女装)
アーサー・ローレンツ(脚本家「ロープ」「追憶」)
スチュアート・スターン(俳優「タイタンの戦い」)
ゴア・ヴィダル(脚本家「去年の夏、突然に」)
ポール・ラドニック(脚本家「天使にラブソングを・・・」)
スージー・ブライト(作家;過激派)
リリー・トムリン:ナレーター
***
◎1970年の「真夜中のパーティー」は、画期的な映画だった。
ゲイが死なずに済んだ映画(俳優の大部分は、エイズなどで死んだ)だったからだ。この辺りから本格的なゲイ映画が生まれる。
「キャバレー」は、ホモを肯定的に描いた初めての映画である。
しかし、ホモは病気だと信じられて来た。彼らもそう信じていた。
悪役といえば以前はユダヤ人だったのが、次第にゲイ役が演ずるようになった。また、ホモに悪口をいう場合、“ファゴット“と言えばいい。映画の中で「ファゴット」というセリフをよく聞くようになった。
◎80年代に入ると、ハード・ゲイの恋愛映画が登場する。
1980年「クルージング」は、ハードゲイ映画である。これは、ゲイが加害者側に回る映画でもある。
1982年「メイク・ラブ」で、大スターだったハリー・ハムリンは、あえてハード・ゲイ映画に出演した。
これらのゲイ映画は、賛否両論ともに話題になった(同時に反発を受けた)。
◎ソフトな性的表現として、ホモ・セクシャルのキス・シーンが、しばしば見られるようになった。
例えば、「日曜日は別れの時」(1971年英国アカデミー賞)、「カラーパープル」(1985)「テルマ&ルイーズ」 (1991)、「ハンガー」(1983、スーザン・サランドンとカトリーヌ・ドヌーブのキス・シーンとベッドシーンが有名)「ミッドナイト・エクスプレス」(1978)、「フライド・グリーン・トマト」(1991、メアリー・スチュアート・マスターソンがレズビアンであることをカミング・アウトする部分が婉曲化されている)など。
◎ゲイのエイズ患者を主人公にしてアカデミー賞を取る。
「フィラデルフィア」(1993)の成功で、ゲイが主人公の映画でも感動を与えさえすれば、アカデミー作品賞を受賞できることを証明した。