女性が芸能界で栄光を掴む代償として愛する人を失う映画「スタア誕生」とそのリメイクは、2018年の「アリー/スター誕生」まで4本作られている。オリジナルが1937年製作「スタア誕生」である。リメイクがジュディ・ガーランドが主演してミュージカル仕立てであり、リメイク第二弾はバーブラ・ストライサンド、リメイク第三弾はレディ・ガガが主演して音楽業界に設定変更したため、歌が主体の音楽映画になっている。しかし第一弾では、主演ジャネット・ベイカーがキッチンで鼻歌を歌うぐらいで、完全にストレート・プレイになっている。
製作はデビッド・セルズニック、監督はウィリアム・ウェルマン
もう一人の主演はフレデリック・マーチ。共演はプロデューサー役アドルフ・マンジューと祖母役メイ・ロブソン
日本初公開は1939年。

あらすじ

ノースダコタに住んでいる娘エスターは演技力があって、銀幕のスターを夢見ている。それに対して、母親代わりで堅物の叔母は口うるさく、早く嫁に行けと言う。しかし開拓者だった祖母レティーは、孫娘に「夢を実現させるためには苦痛を乗り越える必要がある」とハリウッドで生きる覚悟を開拓者精神に見立てて語り、エスターに小遣いを与えて西部行きの列車に乗せてやる。
ハリウッドは不況で、彼女をエキストラとして使ってくれるところもなかった。知人の第二助監督ダニイの口利きで、エスターは一晩限りのパーティーでウェイトレスとして働く。その席で彼女は憧れだった大スターのノーマン・メインと会った。実は彼を一度映画館で見かけていた。そのとき酒に酔って大失敗をしていた。今回、ノーマンは付き合っているアニタを放り出して、エスターとドライブを楽しむ。彼女の応援をしたくなったノーマンは、プロデューサーのナイルズを夜中に叩き起こしてスクリーン・テストの予約を取り付ける。テストに合格したエスターは、広報リビーが付けたビッキー・レスターの名前でハリウッド・デビューした。
レッスンを積んで台詞の付いた役を貰えるようになった頃、ノーマンが次回作の相手役にビッキーを推薦しナイルズも承諾する。その映画は大ヒットするが、主役のはずのノーマンは新人ビッキーの引き立て役になってしまった。

ノーマンが禁酒することを条件にビッキーは結婚を承知する。駆け落ち結婚のはずだったが、リビーがすっぱ抜く。結婚してもビッキーの人気は衰えなかったが、ノーマンの人気は下がるところまで下がる。暇になったノーマンは再び酒に手を出してしまう。エスターにアカデミー最優秀女優賞が与えられるが、その席上で再び泥酔して受賞スピーチを遮ってしまう。
ノーマンはアル中患者の施設に送られたが、気を利かして役を回してくれると言うナイルズに、意地を張って断ってしまう。退院したノーマンはサンタ・アニタ競馬場で広報リビーに笑われたことから暴れる。挙げ句の果てに飲酒運転で物損事故を起こし、裁判になるが、ビッキーが裁判長に頭を下げて懲役だけは避けた。
ビッキーはノーマンを立ち直らせるために、引退を決心する。ナイルズとの会話を聞いたノーマンは、一人寂しく夕陽の海で入水自殺する。
夫の葬儀でサインくださいとネダられ、エスターは芸能界を捨てて田舎に引き上げようと一度は決心する。そこへ祖母レティーが現れて、再び彼女を激励する。やがてエスターは祖母と共に試写会に登場し、「私はノーマン・メイン夫人です」と挨拶する。

雑感

カラー映画として初めてアカデミー各賞を受賞した作品。ちなみにその年の最優秀作品賞はドレフュス事件を扱った白黒映画「ゾラの生涯」だった。この「スタア誕生」はアカデミー原案賞特別賞(カラー撮影に関して)を受賞している。

ジャネット・ゲイナーは「第七天国」などの出演で第一回アカデミー主演女優賞を受賞しており、フレデリック・マーチは「ジキル博士とハイド氏」で第五回アカデミー主演男優賞をウォーレス・ピアリー(「チャンプ」)と同時受賞していた。カラー映画の積極的採用にしろ名優起用にしろ、オスカーを何とか取りたかったのだろう。この執念は1939年「風と共に去りぬ」、1940年「レベッカ」の連続アカデミー作品賞受賞で開花する。

「アリー/スター誕生」の公開時も何度か取り上げられたが、第一作「スタア誕生」は真のオリジナルでなく、その原型というべき映画があった。「栄光のハリウッド」(What Price Hollywood?)という1932年の作品だ。
1920年代にコリン・ムーアというフラッパー女優(ボブカットで、享楽的な生き方を良しとする女優)がいて、ジョン・マコーミックというプロデューサーと結婚する。しかし夫のアル中で結婚は破綻し、彼女の大恩人である映画俳優兼監督トム・フォアマンも能力の限界を感じて自殺する。後に彼女は芸能界を引退して投資家になるんだけど、要するに彼女に関わった男はみんな不幸になった。
1932年映画「栄光のハリウッド」はこのコリン・ムーアのスキャンダルを脚色して、監督ジョージ・キューカーがラストで夫婦を無理やり復縁させるが、興行成績は芳しくなかった。

5年後セルズニックはこのネタを少し脚色してハッピーでないが前向きな終わり方を選択する。それがこの「スタア誕生」である。映画ではラストに突然祖母が現れ、お前が女優を辞めたら生きがいが無くなるじゃないかと言って、主人公を無理に翻意させてしまう。さらに主演女優をフラッパーから演技派女優(第三作以降は実力派歌手)に置き換え、自殺するのを同業者である夫の方にした。そこが興行的に成功したのだが、皮肉なことにアカデミー原案賞まで取ってしまった。ちなみに「栄光のハリウッド」もアカデミー原案賞にノミネートされたが、落選した。アカデミー原案賞(オリジナル脚本)って何のことw。

第二作目以降は、音楽映画という付加価値が付いたが、本筋は頑固なまでに「栄光のハリウッド」でなく「スタア誕生」の方に固執している。そこには離婚という選択肢が全くないカトリック的世界観が流れている。これはいささか無理がある。だから主要アカデミー賞(作品賞、監督賞、俳優賞)を取れないのだ。
最も観客は歌さえ良ければ、本筋なんか見ていないのだ。ジュディ・ガーランドの場合、原作通りでなく、ダブル・バッドエンドに脚色して、ラストで虚空を見つめて「どうやって歌えばいいのかしら」と言わせたら、主演女優賞を案外取れたかもしれない。ニューシネマ風だから1954年には無理だったが。

スタッフ

製作 デイヴィッド・O・セルズニック
監督 ウィリアム・A・ウェルマン
脚本 ドロシー・パーカー 、 アラン・キャンベル 、 ロバート・カースン
原案 ウィリアム・A・ウェルマン 、 ロバート・カースン (アカデミー原案賞)
撮影 ハワード・グリーン (アカデミー特別賞)
美術 ライル・R・ウィラー
プロダクション・デザイン(美術監督) ランシング・C・ホールデン

キャスト

エスター(ビッキー・レスター) ジャネット・ゲイナー
ノーマン・メイン フレドリック・マーチ
オリバー・ナイルズ(プロデューサー) アドルフ・マンジュー
祖母レティ  メイ・ロブソン
友人の助監督ダニー  アンディ・デヴァイン
広報リビー  ライオネル・スタンダー
マティ叔母  クララ・ブランディック

スタア誕生 A Star is Born 1937 セルズニック・インターナショナル製作 ユナイテッド配給

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