映画「ザッツ・エンターテイメント1、2」のダンス版である。映画に登場したダンス・シーンの傑作場面を集めてその進化を紹介する名場面集。
もはやMGMはユナイトに吸収されてMGM/UAになって弱体化していたので、MGMのフィルムだけでなく、ワーナーやフォックスなど大手映画各社が自社フィルムを貸し出してもらっている。
製作はデイヴィッド・ニヴンの息子とジャック・へイリー(「オズの魔法使い」ブリキ男)の息子が共同で行い、監督・脚本は「ザッツ・エンタテイメント」に続いてジャック・ヘイリー・ジュニアが務めた。エグゼクティヴ・プロデューサーはジーン・ケリー
案内役はジーン・ケリー、サミー・ディビス・ジュニア、ミハイル・バリシニコフ、レイ・ボルジャー、ライザ・ミネリの5人で、それぞれナレーションも担当している

あらすじ

映画は6つのパートに分かれ、各ガイド役が案内する。

<パート1、「バスビー・バークリー時代」ガイド=ジーン・ケリー>
ダンスは古来実際に見て覚えるものだったが、活動写真の発明によって大きく様相が変わる。
活動写真ができた頃は、ボードビルやバーレスクのダンスを活写していたが拙いものだった。1926年にエルンスト・ルビッチ監督はサイレント映画「陽気なパリっ子」でダンスホールでチャールストンを躍り狂う群集を描いた。
トーキー時代に入って「ブロードウェイ・メロディ」が第二回アカデミー作品賞を受賞し、その後ミュージカル・ブームを呼ぶが、粗製濫造のため内容は酷く石器時代と呼ばれている。
その頃、ブロードウェイからバスビー・バークリーがハリウッドに招聘される。彼は美人だけを大勢使いクローズアップを多用し、全体を写すときは俯瞰カメラを使う。振り付けよりも人文字で幾何学模様を描いて見せた。「青空狂騒曲」は彼のそんな片鱗を見せた作品だったが、まだ観客には理解できなかった。続いてワーナーで振り付けした「四十二番街」がようやくヒットする。広いスタジオにダンサーを詰め込んでの群舞は壮観である。その後もバークリーは「ゴールド・ディガース」シリーズや「泥酔夢」等を振り付けて、大ヒットさせた。主役は力強いタップ・ダンサーのルビー・キーラーで彼女は1930年代前半のミュージカル・スターとなり、その相手役の歌手はその後20年以上スターダムにいたディック・パウエルだった。

<パート2:「スタイル」:サミー・デイビア・ジュニア>
1933年からフレッド・アステアが映画のタップ・ダンスに洗練されたスタイルを持ち込む。バークリーはクレーン・ショットやドリー・ショットを多用するが、フレッド・アステアに必要なのは固定カメラでしかなく、アングルはできるだけ動かさず、編集も極力行わない。これはミュージカル映画の革命だった。
さらにRKOはアステアと有望な新人女優ジンジャー・ロジャーズとにコンビを組ませる。ロジャーズはツンデレだが、アステアと踊ることでお互いの心が打ち解けていくタイプの映画を撮り、シリーズ化した。

またコンビということなら6歳のシャーリー・テンプルとブロードウェイの黒人スターであるビル・ロビンソンも有名だ。シャーリー・テンプルがここまで人気が出たのは、この二人がタップを踊ったからだ。ビル・ロビンソンは正確無比なリズムの持ち主で、軽いタップを踏んだ。それ以来、軽いタップは流行になった。

白人女性エレノア・パウエルは「踊るブロードウェイ」でスターの座を掴む。彼女はマシンガン・タップで1930年代の女性タップ・ダンサーNo.1に躍り出る。「踊るホノルル」でもハワイ風のタップダンスを見せる。

ニコラス・ダンサーズもスピーディーでダイナミックなタップを披露して1930年代から1940年代まで活躍した。

<パート3、「バレエ」:バリシニコフ>
まずロイ・フラーが電気照明を使ったダンスを考案し、通常のバレエと違った効果をもたらした。そしてイサドラ・ダンカンは裸足のまま独創的のバレエを実践し、モダンバレエの祖となった。
そしてクラシック・バレエの世界でも、アンナ・パブロワが登場してサイレント映画に出演した。トーキーになってからはバレエはメインのダンスではなくなったが、1939年ドイツ出身のバレリーナ兼女優であるヴェラ・ゾリーナが登場する。出演数は「ゴールドウィン・フォリーズ」などわずかだったが、映画界に強い印象を残す。
英国では「赤い靴」にクラシック・バレリーナのモイラ・シアラーが主演して大ヒットした。タマラ・トゥマノワも6本のバレエ映画に主演した。ジャック・ダンボワーズはニューヨーク・シティ・バレエ団の一員だが、「回転木馬」でバレエを踊っている。
冷戦の緊張が緩和されている期間にルドルフ・ヌレイエフがソ連から招聘され、バレエ映画にも何本か出演する。相手役は英国王立舞踏院長マーゴ・フォンテーンだった。

<パート4、「MGMと二人のスター」:レイ・ボルジャー>
1940年から1950年代にかけてのMGMはダンス・シーンでも黄金期を迎えていた。在籍メンバーは、ジュディ・ガーランド、ミッキー・ルーニー、グロリア・デヘイブン、ヴァン・ジョンソンとルシル・ブレマー、ラナ・ターナー、アン・ミラーとトミー・ロール、シド・チャリシー。ヴェラ・アレン、18歳のレスリー・キャロン。アクロバティック・ダンスのラス・タンブリン、ジェーン・パウエル、ルシル・ボール、ジューン・アリスン、チャンピオン夫妻、デビー・レイノルズとボビー・フォッシーなど。
その中でもフレッド・アステアとジーン・ケリーは二大スターだった。
アステアは「恋愛準決勝戦」でジェーン・パウエルとのラテン・ダンスを、「土曜をあなたと」でヴェラ・アレンと社交ダンスを見せてくれる。「バンドワゴン」では有名なシュー・シャイン・ダンスを踊る。
ジーン・ケリーは「雨に唄えば」でドナルド・オコナーとダイナミックなタップ・ダンスに挑む。「舞踊への招待」ではブルー・バックを使い、合成してアニメの少女と踊っているように見せている。「いつも上天気」ではケリーは同僚水兵と共にゴミ箱の蓋を足にはいて鳴らしながらダンスしている。

<パート5:「ブロードウェイ」:ライザ・ミネリ>
ブロードウェイのヒット・ミュージカルの映画化作品を特集。「ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ」「キスミー・ケイト」「オクラホマ」「スイート・チャリティ」「絹の靴下」「ウェスト・サイド物語」の抜粋が映される。

<パート6:「最近の動向」:ジーン・ケリー>
再びジーン・ケリーのナレーションで1980年代以降の音楽がダンスに与えた影響を考える。「サタデー・ナイト・フィーヴァー」「フェーム」「フラッシュダンス」、そしてMTVがダンスに与えた影響としてマイケル・ジャクソンの「今夜はビート・イット」等が写し出される。

雑感

ミュージカルや歌の名場面を集めたのが「ザッツ・エンターテイメント1,2」であり、ダンスの名場面を集めたのがこの作品だ。
歌とダンスでは違いがいくつかある。歌は吹替が利くが、ダンスでは難しいと言うこと。歌うのは主役級である事が多いが、ダンサーなら台詞がなくても良い。さらにダンスの撮影はスタジオで一日がかりは当たり前で、数日かかることの方が多い。しかし国宝級のバレエダンサーなら一発取りがあってもおかしくない。

1985年と言えばフレッド・アステアは既に引退していたので、ガイド役では出てこない。その代わり映画のダンスシーンはRKO時代と一度引退した後のMGM時代という二つのパートで姿を見られる。1987年にアステアは亡くなる。

パート6の最後を飾るダンスとしては「ダーティ・ダンシング」を入れて欲しかったが、あれは1987年の製作だ。

多くのダンスシーンがあったが、個人的ベスト3を挙げると「絹の靴下」のシド・チャリシー(チャリース)、「恋愛準決勝戦」のジェーン・パウエル、「踊るホノルル」のエレノア・パウエルである。

レイ・ボルジャー(カカシ男役)の「オズの魔法使い」での未公開カットが残っていたが、なぜこれを公開当時カットしたか。そういう声が出るほど良い出来だった。

 

 

スタッフ

製作 デイヴィッド・ニーヴン・ジュニア 、 ジャック・ヘイリー・ジュニア
製作総指揮 ジーン・ケリー
監督・脚本 ジャック・ヘイリー・ジュニア
撮影 アンドリュー・ラズロ 、 ポール・ローマン
編集監督 バド・フリージェン
編集 マイケル・J・シェリダン
音楽 ヘンリー・マンシーニ

キャスト

(ガイド役)
ジーン・ケリー
サミー・デイヴィス・ジュニア
ミハイル・バリシニコフ
レイ・ボルジャー
ライザ・ミネリ

主な出演
フレッド・アステア
ジェームズ・キャグニー
シド・チャリシー
ダン・デイリー
ジャック・ダンボアーズ
イサドラ・ダンカン
ボブ・フォッシー
キャロル・ヘニー
アン・ミラー
ジェーン・パウエル
シャーリー・マクレーン
マイケル・ジャクソン

ザッツ・ダンシング! That’s Dancing! 1984 ウィンター・ハリウッド・エンタメ製作 MGM/UA配給

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