MGM映画創立70周年を記念して、1976年の「ザッツ・エンタテインメント PART2」以来、17年ぶりのMGMミュージカル映画の名場面を集めた映画第3部。
監督・製作・脚本・編集は、前2作で編集を担当したバド・フリージェン、マイケル・J・シェリダン

ジーン・ケリー、ジューン・アリソン、シド・チャリシー、アン・ミラー、エスター・ウィリアムス、デビー・レイノルズ・リナ・ホーン・ハワード・キール、ミッキー・ルーニーがホストを務め、カリフォルニア州カルヴァー・シティにある旧MGMスタジオで収録した。
ジーン・ケリーはこの作品が映画での遺作。テレビの特集番組に1995年まで出演して、1996年に亡くなる。

 

 

内容

この映画のOP『Here’s to the Girls』 – 『ジーグフェルド・フォリーズ』(1946年) フレッド・アステア

ジーン・ケリー(古典編)
『My Pet Song』 – 『The Five Locust Sisters』 (1928年) The Five Locust Sisters
『雨に唄えば』(オリジナル版) – 『ハリウッド・レヴィユー』(1929年)
★『The Lockstep』 – 『March of Time』(1930年) Dodge Twins(ミュージカルの粗製濫造でお蔵入りした作品)
『Clean as a Whistle』 – 『駄法螺男爵』(1933年) 女子大のシャワールームが出てきたので、自主規定を作成することになる

『Ah, Sweet Mystery』 – 『浮かれ姫君』(1935年) ジャネット・マクドナルド、ネルソン・エディ(オペラ型のミュージカルの登場)
『Hollywood Party』 – 『ハリウッド・パーティー』(1934年) 大規模ミュージカルの流れに乗った作品でクラーク・ゲーブル主演
『Follow in my Footsteps』 – 『踊る不夜城』(1937年) エレノア・パウエルのタップ (タップダンスのMGMスターの誕生)
『Fascinating Rhythm』 – 『Lady be Good』(1941年) エレノア・パウエルのタップ
『Good Morning』 – 『青春一座』(1939年) ミッキー・ルーニーとジュディ・ガーランドの初共演

エスター・ウィリアムズ(水中レビュー編)
『Ten Percent Off』 – 『This Time For Keeps』(1947年) ジミー・デュランテ、エスター・ウィリアムズ(水中ダンス)
『Tom and Jerry fame』 – 『濡れたらダメよ』(1953年) エスター・ウィリアムズ(水中ダンス)
『Finale of Bathing Beauty』 – 『世紀の女王』(1944年) エスター・ウィリアムズ(水中ダンス)
『Cleopatterer』 – 『雲流るるはてに』(1946年) ジューン・アリソン

ジューン・アリソン(歌とダンス編)
『The Three B’s』 – 『Best Foot Forward』(1943年) ジューン・アリソン 、グロリア・デヘイヴン
My Heart Sings – 『錨を上げて』(1945年) キャスリン・グレイソン
Shakin’ the Blues Away – 『イースター・パレード』(1948年) アン・ミラーのダンス
『Pass That Peace pipe』 – 『Good News』(1947年) ジョアン・マクラケンとレイ・マクドナルドによるダンス
『On The Town』 – 『踊る大紐育』(1949年) ジーン・ケリー、フランク・シナトラ、アン・ミラー、ヴェラ=エレンら
Baby, You Knock me out – 『いつも上天気』(1955年) シド・チャリシー(ダンス)

シド・チャリシー(ジーン・ケリー編)
『Ballin’ The Jack』 – 『For me and my Gal』(1942年) ジュディ・ガーランド、ジーン・ケリー
『Dance with Squeaky Newspaper』 – 『サマー・ストック』(1950年) ジーン・ケリーのソロダンス
『Slaughter on 10th Avenue』 – 『ワーズ&ミュージック』(1948年) ヴェラ=エレンとジーン・ケリーのダンス
『An American in Paris Ballet』 – 『巴里のアメリカ人』(1951年) ジーン・ケリーとレスリー・キャロンによるダンス
『Fit as a Fiddle』 – 『雨に唄えば』(1952年) ジーン・ケリー、ドナルド・オコーナー
『The Heather on the Hill』 – 『ブリガドーン』(1954年) ジーン・ケリーとシド・チャリシーによるダンス(シドが最も好きなシーン)
★『You Are my Lucky Star』 (アウトテイク) – 『雨に唄えば』(1952年) デビー・レイノルズ

デビー・レイノルズ(メイクとラテン編)
『You Stepped Out with the Dream』 – 『美人劇場』(1941年) トニー・マーティン、ラナ・ターナー、ヘディ・ラマール
★『A Lady Loves』 – 『I Love Melvin』(1953年) デビー・レイノルズ(カットされた部分)
『Thanks a Lot But No Thanks』 – 『いつも上天気』(1955年) ドロレス・グレイ
★『Two Faced Woman』 – 『Torch Song』(1953年) ジョーン・クロフォード(吹替) 「バンドワゴン」でカットされた歌を使っている

「1940年代のラテン化現象」
・ザビア・クガート・オーケストラ
『The Fury Song』 – 『Kissing Bandit』 (1949年) リカルド・モンタルバン、アン・ミラー、シド・チャリシーのフラメンコ・ダンス
・カルメン・ミランダの歌唱
『Ma ma』 – 『ブロードウェイ』(1941年) ミッキー・ルーニー(カルメン・ミランダの真似)
『Where or When』 – 『ワーズ&ミュージック』(1948年) レナ・ホーン

レナ・ホーン(黒人歌謡編)
『Just One of Those Things』 – 『Panama Hattie』(1942年) レナ・ホーン(MGMでの初歌唱)
★『Ain’t it the Truth』 (アウトテイク) – 『キャビン・イン・ザ・スカイ』(1943年) レナ・ホーン (バスタブに使っているシーンだったのでNG)
☆『Can’t Help Lovin’ Dat Man』 – 『ショウ・ボート』(1951年) エヴァ・ガードナー (吹替と実声)
『 Can’t Help Lovin’ Dat Man』 – 『雲流るるはてに』(1946年) レナ・ホーン(劇中歌)
★『I’m an Indian Too』 他一曲(アウトテイク) – 『アニーよ銃をとれ』(1950年) ジュディ・ガーランド(降板したためカットされた)
『I Wish I Were In Love Again』 – 『ワーズ&ミュージック』(1948年) ジュディ・ガーランドとミッキー・ルーニーによる最後のデュエット

ミッキー・ルーニー(ジュディ・ガーランド編)
『Swing Mr Mendelssohn』 – 『Everybody Sing』(1938年) ジュディ・ガーランド
『In Between』 – 『初恋合戦』(1938年) ジュディ・ガーランド
『黄色いレンガの道をたどって』 – 『オズの魔法使』(1939年) ジュディ・ガーランド
『オズの魔法使いに会いに行こう』 – 『オズの魔法使』(1939年)
『虹の彼方に』 – 『オズの魔法使』(1939年) ジュディ・ガーランドによる
『How About You』 – 『ブロードウェイ』(1941年) ジュディ・ガーランドとミッキー・ルーニー
『Minnie from Tridend』 – 『美人劇場』(1941年) ジュディ・ガーランド
『Who』 – 『雲流るるはてに』(1946年) ジュディ・ガーランド
『March of the Doagies』 – 『ハーヴェイ・ガールズ』(1946年)ジュディ・ガーランド、レイ・ボルジャー ら
『Get Happy』 – 『サマー・ストック』(1950年) ジュディ・ガーランド
★『Mr Monotony』 (アウトテイク) – 『イースター・パレード』(1948年) ジュディ・ガーランド
『It Only Happens When I Danced with You』 – 『イースター・パレード』(1948年) フレッド・アステア、アン・ミラーによるダンス

アン・ミラー(フレッド・アステアのダンス編)
『踊るニュウ・ヨーク』(1940年) – フレッド・アステアとエレノア・パウエル
『ヨランダと泥棒』 (1945年)- フレッド・アステアとルシル・ブレマー
『Drum Crazy』 – 『イースター・パレード』(1948年) フレッド・アステアがドラムを叩きながら踊る
『The Girl Hunter』 – 『バンド・ワゴン』(1953年) フレッド・アステアとシド・チャリシー
『Swing Trot』(主題曲) – 『ブロードウェイのバークレー夫妻』(1949年) フレッド・アステアとジンジャー・ロジャース
『I Wanna be a Dancin’ Man』 – 『ベル・オブ・ニューヨーク』(1952年) フレッド・アステア
『Anything You Can Do』 – 『アニーよ銃をとれ』(1950年) ベティ・ハットンとハワード・キール

ハワード・キール編(対テレビ編)
『Stereophonic Sound』 – 『絹の靴下』(1957年) フレッド・アステアとジャニス・ペイジ
『Shakin’ the Blues Away』 – 『情欲の悪魔』(1956年) ドリス・デイ
『監獄ロック』 – 『監獄ロック』(1957年) エルヴィス・プレスリー
『Gigi』 – 『恋の手ほどき』(1958年) ルイ・ジュールダン、レスリー・キャロン

ジーン・ケリー(エンディング)
『That’s Entertainment』 – 『バンド・ワゴン』(1953年) フレッド・アステア、シド・チャリシー(吹替インディアナ・アダムス)

 

雑感

史上初のミュージカル映画「ホリウッド・レビュー」(1929)から、カラー映画、ワイドスクリーン、ステレオ映画と順を追って、62曲のミュージカル・ナンバーと思い出の場面を披露する。
今回は「雨に唄えば」「ショウ・ボート(1951)」「バンド・ワゴン」「ギャビン・イン・ザ・スカイ」など、アウトテイク(本編でカットされたボツ・フィルム)を初公開した。

カットされた理由

エバ・ガードナー
自分の声の歌唱を吹き込んだのに、公開直前に吹き替えに差し替えられた。原因は声がメゾソプラノだったため、アルトな吹き替えの方が心に響くと判断された。

ジュディ・ガーランド
「イースターパレード」の「Mr. Monotony」はガーランドが初めてタキシードに網タイツで披露した作品で、体調も問題なかったのに、時間的な問題でカットされた。実に残念。
「アニーよ銃をとれ」の二曲は残念ながら絶好調のガーランドではなかった。メイクのノリも悪く、体調がかなり悪いことが誰の目に見ても明らかで、仕方ないと思う。

リナ・ホーン
「キャビン・イン・ザ・スカイ」でのリナ・ホーンの歌唱シーンがカットされたのは、黒人の入浴シーンに当時は問題があったから。人種差別に他ならない。

デビー・レイノルズ
彼女の二曲も理由はわからない。俗に言うアイドル声だから、声に全く重みがないが、この曲については問題ないと思うが。

シド・チャリシー
シド・チャリシーが「Two Faced Woman」を踊って歌う(歌は吹替)妖艶なシーンがカットされて、映画「トーチソング」で黒人のように茶色いメイクをして歌った全く同じ吹替は使われた。

 

それから特筆すべきは、ラテン化現象。すでに1930年からRKOなどではザビア•クガートがセリフをもらっていてラテン・バンドが重要な役割を果たしていた。クガートはスペイン出身でキューバに5歳の時に移住し、15歳でニューヨークに再移住している。当時の最先端ラテン音楽はタンゴであり、タンゴバンドに籍を置いて、バイオリニストとして活躍。トーキーになってから映画音楽家の仕事が増えて、自ら出演するようになった。

MGMはラテン音楽の隆盛に逆えず、ザビア・クガートだけでなく、完全にブームが過ぎてフォックスからMGMに移籍したカルメン・ミランダ(ポルトガル出身ブラジル人歌手)のサンバ歌唱や、フラメンコを得意とするB級スターのリカルド・モンタルバン(メキシコ人)を呼び寄せたが、ミュージカル映画におけるラテン文化は、すでにネイティブを必要としないほどアメリカナイズされてしまい、1950年代まで隆盛は続かずMGMは再び白人と黒人のミュージカルに戻っていった。

それよりハリー・ベラフォンテの歌「バナナ・ボート」の大ヒットやイタリア人歌手ドメニコ・モドゥーニョの歌「ヴォラーレ」のビルボード年間一位などを通してアメリカ文化に浸透していき、ミュージカル映画「ウェスト・サイド・ストーリー」でイタリア人やヒスパニックの若者のニューヨークにおける存在を映画の中で描き出す力がなかった点で、MGMの文化的価値は終わったと言えよう。

 

スタッフ

監督 バド・フリージェン 、 マイケル・J・シェリダン
製作 バド・フリージェン 、 マイケル・J・シェリダン
製作総指揮 ピーター・フィッツジェラルド
脚本 バド・フリージェン 、 マイケル・J・シェリダン
編曲 マーク・シャイマン
編集 バド・フリージェン 、 マイケル・J・シェリダン

キャスト

ジーン・ケリー
エスター・ウィリアムス
ジューン・アリソン
シド・チャリシー
デビー・レイノルズ
リナ・ホーン
ミッキー・ルーニー
アン・ミラー
ハワード・キール
最初のナレーター  グランビル・ヴァン・ドゥーセン

 

ザッツ・エンタテインメントPART3 That’s Entertainment III 1994 MGM+ターナー・エンタメ製作 MGM配給 UIP国内配給

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