作曲の船村徹先生が逝ってつかの間、また昭和の大歌手が亡くなった。先日まで普通にテレビで歌っていたのに、急な話で呆然としている。

戦後歌謡史においていかに偉大だったかを知るには、経歴を追えば簡単にわかる。
1933年、昭和8年生まれということで伯母と同じ歳だ。
青学女子高等部時代はクラシックの声楽を歌っていたが、ビング・クロスビーがアカデミー賞7部門獲得映画「我が道を往く」の中でルーラルーラルラー♪と歌う「アイルランドの子守歌」を聞いてジャズ・ポップスに転向して進駐軍で歌い始める。
1952年、卒業後「ドミノ」でレコードデビュー
1954年、「月光のチャペル」で紅白歌合戦初出場
1956年、ヒッチコック監督の映画「知りすぎていた男」劇中歌でドリス・デイの名曲「ケセラセラ」をカバーして紅白歌合戦出場。
1958年、ミュージカル「あなたの為に歌うジョニー」で芸術祭賞受賞
1959年、前年NHK高知放送局開局記念の全国番組でペギーが「南国土佐を後にして」を歌うと全国的に評判になり、59年レコーディングして5月に発売し、8月に小林旭主演で映画化、年末には紅白歌合戦へ出場した。
1960年、ロスでミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」を鑑賞し劇中歌「ドレミの歌」に自分の訳詞をつけて「みんなのうた」で日本に紹介した。
1963年「ラ・ノビア」が二年間のロングセラーとなる。
1964年「学生時代」「爪」(「ラ・ノビア」と両A面だったこともある)がヒット。

1965年、二枚目俳優根上淳と結婚
1973年、篠田三郎主演の「ウルトラマンタロウ」でウルトラの母を演じる。
1998年、根上淳が脳梗塞で倒れてペギーさんが介護する。(2005年根上淳逝去)
2010年、ラジオ深夜便でオンエアされた「夜明けのメロディー」を発売、ロングセラーとなり40年ぶりにオリコンにチャートイン。

この方は、基本的にはジャズポップス歌手。わかりやすさを重んじ、ポップスのカバーソング中心に移行する。さらに民謡ご当地ソングでファンの裾野を広げたから、これだけ根強い人気を誇ったといえる。
比較されるのは同じキングレコードでほぼ同じジャンルで競っていた江利チエミだ。彼女は映画、テレビ、舞台と当時八面六臂の大活躍でレコーディングには重きを置かなかったから、映画やテレビでの活躍も入れるとチエミには敵わない。しかし歌に限ってはペギーさんに軍配を上げたい。

ご冥福をお祈りします。
安らかにお休みください。