オリジナルソングは1965年に生まれたカンツォーネだったが、1966年に英国のダスティ・スプリングフィールドが英語バージョンをヒットさせ、1971年には米国のエルヴィス・プレスリーがリバイバルさせた名曲を、当時人気絶頂だった藤圭子が歌っている。
藤圭子は北海道出身で浪曲歌手の娘だったが、コブシの回り切らない「浅い」演歌歌手だった。ロッド・スチュアートでも歌わせた方が似合うという人もいたが、ビブラートを適度に使うポップスも得意でカバーソングを多く吹き込んでいる。愛娘に伝わったDNAは父親由来ではなく、たしかに母親のものだったのだ。彼女がドスの利いた声で歌うようになったのは作詞家石坂まさをの方針で任侠演歌を歌わせたからだ。
これは1971年7月のコンサート録音をレコード化した「藤圭子リサイタル」の6曲目。他にもポップスでは黛ジュンの「恋のハレルヤ」アニマルズの「朝日のあたる家」を歌っている。
変わって、こちらは今の時期にぴったりな歌謡浪曲「刃傷松の廊下」。
最近では氷川きよしや島津亜矢が歌っているが、今日は藤圭子が父親からDNAを受け継いでいる好例として紹介する。
以前は真山一郎がヒット(1973)させたが、オリジナルは誰か分からなかった。今回調べて見て、昭和30年代に江利チエミと舞台でコンビを組んでいた南風カオル(大衆演劇の役者さん)が歌ったらしいことが分かった。それ以前の情報があったら教えてください。
藤圭子 「この胸のときめきを」1971