またしても、ようつべで、お宝を見つけてしまった。
おそらくNHKレッツゴーヤングで放送された石毛礼子の、
台詞入り「旅の手帖」の一部だ。
作詞松本隆 作曲網倉一也 編曲船山元紀
1981年は女性アイドル不毛の年であった。
この年のレコード大賞新人賞には、なんと<祐子と弥生>しか女性歌手がいなかった。
新人女性歌手は数多く出たが、記憶に残っているのは、石毛のほかに沢村美奈子、川口雅代、坂上美和、中島はるみ(二人いる)、野宮真貴、林紀恵、横須賀昌美ぐらいだ。
(野宮真貴は、のちにピチカートファイブに所属して、大成した。彼女も芸歴25周年を過ぎた)
その中でも石毛は、ヤマハ出身だったから、ダントツの歌唱力を誇っていた。
もう少しブスだったら、開き直って、様々な路線があった。
しかし中途半端に可愛かったため、21歳に関わらず、聖子ちゃんカット(というより奈保子ちゃんカットか)でアイドル路線を行く。
それが失敗すると、路線を変更しては迷走して、そして消えていった。
愛してない 好きじゃない
気にしていない 泣いてない
「ないない尽くし」の歌詞が琴線に触れたのか、大学受験前だったのに僕は、この彼女のデビュー曲にとりつかれてしまった。耳から離れないのだ。模擬試験前なのに一大事だった。
当時、個人的ヒットチャートを付けていた。この曲が毎週上位に、名を連ねていたことを思いだす。
ヤマハ出身なのに、石野真子が寿引退するバーニングプロに預けられ、松田聖子フォロワーのアイドルにさせられた。
1982年には石川優子の後任として、笑福亭鶴光の「MBSヤングタウン」アシスタントに抜擢されるが、それも一年限り。
総じて不本意な歌手生活だったろう。
10年早く生まれてくれば、ポプコンでフォークソングのヒットナンバーの一つも残したはずだ。
現在は主婦をしていると聞く。
子供がいれば、きっとママさんコーラスのスターだろうな。
参考、1981年レコード大賞新人賞:
曲名:「ギンギラギンにさりげなく」 歌手:近藤真彦(最優秀新人賞)
作詩:伊達 歩 作曲:筒美京平 編曲:馬飼野康二
曲名:「てれてZinZin」 歌手:竹本孝之
作詩:三浦徳子 作曲:馬飼野康二 編曲:馬飼野康二
曲名:「父さん」 歌手:祐子と弥生
作詩:さいとう大三 作曲:宮坂 実 編曲:馬飼野俊一
曲名:「函館本線」 歌手:山川 豊
作詩:たきのえいじ 作曲:駒田良昭 編曲:前田俊明
曲名:「はみだしチャンピオン」 歌手:沖田浩之
作詩:阿木燿子 作曲:筒美京平 編曲:筒美京平