渡辺謙の「硫黄島からの手紙」と同時にクリント・イーストウッド監督により作られた映画で、こちらはアメリカ人の立場に立っているが、決して戦勝ムードで描かれていない。

硫黄島擂鉢山の争奪戦は栗林中将が地下壕での籠城戦を選択したため、米軍はさほどの損害を出さず頂上を取れた。
米軍将校は早速星条旗を掲げるように命じて部下は頂上まで上がって命令を実行したが、将校は星条旗の交換を命じる。交換要員数名が新たな星条旗を掲げたシーンを従軍記者が写真に収めて本国に送りビッグニュースとなった。しかしその後の戦闘の激化で半分の交換要員は戦死するなど、現場の兵士は浮かれてはいなかった。

 

米軍は、日本軍の地下防衛戦が始まってからの方が損害が大きかった。
日本が玉砕したというの大本営発表を行い、栗林を殉職扱いして大将に昇進させたが、実際は抵抗運動を続けていて十日ほど経って栗林大将は空爆に遭わせ総攻撃の夜襲を決行。
ついに日本軍二万人以上、米軍六千人以上がなくなった戦いは終わりを告げた。

従軍記者は最初の星条旗掲揚シーンを写真に撮れなかったし、交換要員も人違いだったりと混乱したが、米軍はひとまず生き残った3名の交換要員を最初に星条旗を掲げた兵士として本国に呼び戻した。
彼らは戸惑いながらも戦地から離れた。
本国に帰ってから、戦費調達のための国債セールスの宣伝に硫黄島のヒーローとしてかり出され、大統領と面会するなど毎日パーティーの連続だった。
アメリカ国内では離れた欧亜の戦争に厭戦ムードが高まり、ルーズベルト政権と米軍に兵器を与える気がないのだ。
彼らは次第に仲間が戦っている戦地と本国の大きな温度差を感じていく。

三人の兵士はそういう修羅場を乗り越えてきたが、本国に帰ればネイティブアメリカンは差別を受け続け仲間同志の一体感は失われた。
そして彼らは気がつく。彼らが守りたかったのはアメリカの理想ではなく、ともに戦った仲間たちだったのだ。

この映画は実際に起きた英雄取り違え事件をテーマにしている。
これも一種の反戦映画なのだろう。
日本人は事件を知らないからピンとこないし、アメリカ人もどこまで感じ取ったのだろうか。
厭戦ムードが高まったら、原爆投下もなかったかも知れない。

 

父親たちの星条旗 2006 Paramount/Warner

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