黒澤作品とアジア映画中心に紹介している。
映画論ではなく、映画を通した認識・歴史・社会論である。
映画のリアリティとは何だ?
美化された結果ではないのか?
しかし美化も真実なのだという。
「羅生門」は、客観の不存在を描いている。
そして主観は、それぞれの自尊心の反映である。
歴史観は、映画はどうゆがめたか?
「七人の侍」と「郡上一揆」を取り上げる。
江戸時代には、百姓は強い自治能力を持っていた。
したがって「郡上一揆」こそが、”正しい”映画である。
近代のヤクザ映画は、江戸時代には現実だった。
民衆は自治を行っていたのである。
侍は人数で負けているから、それに口出しはできなかったのだ。
その封建体制を明治維新が崩したため、そういう部分は歴史の闇に隠れてしまう。
そこでヤクザの名を借りて、「江戸時代の庶民」映画を作っているのである。
他にインドの恋愛映画、反グローバリズムのイラン映画、日中反戦映画、映画による国際理解、ドキュメンタリー論などを話題にする。
佐藤忠男は、日本映画学校の校長。
この先生は、文章は難解だが、ほんとうによくご存知だ。
NHKで難しそうな顔をしてるところしか見たことがないので、怖い先生だと思う。
是非、アジア映画評論の後継者を育ててもらいたい。
最後に武士道について。
黒沢映画「生きる」の主人公・渡邊課長こそ真のサムライである。
癌であと半年とわかった日から生き甲斐を探し、公園作りに命を賭ける。
そしてブランコに乗って死んでいく姿こそ、武士道である。
武士道とは、死ぬことと見つけたり。
まさに我が意を得たり。
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