ネブラスカの電話工事夫だったピート・アレキサンダーが試合中の事故による疾病に苦しみながらメジャー373勝(史上通算勝利数第3位タイ)の記録を妻の支えにより達成し、ヤンキースの強力打線を抑えてセントルイス・カージナルスをワールド・チャンピオンに導く姿を描いた実録野球映画
シーレグ・レスターとマーウィン・ジェラードの原作をテッド・シャーマンが脚色し、「ビッグショット 顔役」(主演ハンフリー・ボガード)のルイス・セイラーが監督した。
主演はドリス・デイロナルド・レーガン、共演はフランク・ラブジョイ。モノクロ映画。

あらすじ

ネブラスカの電話工事夫だったアレックスは野球が大好きで草野球になると、1.5ドルくれる方のために投げて勝つ。ある日、ルーキーリーグのチームが練習試合相手を求めていたので、アレックスが投げて1対0で勝った。一番下のルーキーリーグといえプロの選手相手に勝ってしまい、プロへ進む気持ちが大きくなる。付き合っているエイミーは父が農園の頭金を肩代わりしてくれるから、野球をやめてくれと懇願する。しかしスカウトに会うと、キャッチボールを始めてしまい、入団契約をまとめてしまう。
アレックスはエイミーと離れルーキーリーグの一年を好成績で終えることができたが、最終戦で一塁走者の時、相手の内野手の送球を顔面に受けて、視神経を損傷してしまう。彼はしばらく複視で投げられなくなった。故郷に戻ってきた彼を支えたのはエイミーだった。

しかし病もいつの間にか癒て、投手として成長した彼は3年後フィラデルフィア・フィリーズに招かれる。一年目から28勝を挙げ翌年からも大活躍を続ける。ある試合中、敵のホーンズビーを打席に迎えてキルファー捕手が打たせてやれと耳打ちする。この試合で打てなければ契約解除だそうだ。そこで投げるコースを決めてそこばかり投げると流石のホーンズビーもヒットを放つ。このことが15年後にアレックスに幸運をもたらす。

第一次世界大戦にアメリカが参戦することが決定し、アレックスは徴兵を受け、ヨーロッパに送られる。砲兵部隊に所属し、爆発に巻き込まれて難聴とPTSDを発症してしまう。
それでも戦勝後復員したアレックスはシカゴ・カブスにトレードされており、シカゴに移り住む。試合中に、アレックスは突然目眩がして失神してしまう。チームドクターの判断は熱中症だったが、アレックスは過去の点と線をつなげて考えてみて、個人的に医師を訪ねると、すぐ野球をやめるべきだと言われる。アレックスの目眩や軟調、複視は酷くなっていき不安を打ち消すために酒に溺れては失神して警察に保護される毎日であった。社会的信頼も地に落ちる。

そんなアレックスを見捨てない人間がいた。元の相棒であるキルファー、今はセントルイス・カージナルスのホーンズビー選手兼任監督、そして妻のエイミーだった。彼らは話し合ってホーンズビーのカージナルスがアレックスを獲得して立ち直りの機会を与えようとする。

復帰した年のアレックスは9勝7敗で平凡な成績だったが、チームはナショナル・リーグを初制覇してヤンキースとワールドシリーズで戦うことになる。初戦敗退したカージナルス・ホーンズビー監督は第二戦にベテランのアレックスを起用する。彼はピンチになると観客席のエイミーの笑顔を見て落ち着けた。その結果63000人のヤンキース・ファンの前で完投勝利を挙げることが出来た。

セントルイスに帰ってからカージナルスは第4戦を勝てたが、第3、5戦を落とし、王手をかけられる。しかも第5戦ではベーブ・ルースに3連発ホームランを食い、投手陣が崩壊してしまう。
しかしホーンズビーは望みを捨てていなかった。敵地ニューヨークに動じないアレックスを第6戦に温存していたためである。その試合では目眩がたびたびアレックスを襲うが、その度に観客席のエイミーの笑顔を見て、心を落ち着け完投勝利をあげた。

勝負は最終戦に持ち越された。カージナルスは3点リードしたが先発投手がベーブ・ルースに2点ホームランを浴びて勢いづかせてしまう。七回裏満塁のピンチでホーンズビー監督は昨日完投したばかりのアレックスの勝負根性を信じてマウンドを託す。アレックスもそれに応えて、後続を断ち八回九回も抑えて、セントルイスにワールド・チャンピオンを齎した。

雑感

1926年のメジャーはレギュラー・シーズンは、ア・リーグを大打者ベーブ・ルースと若手ルー・ゲーリックを擁する殺人打線を誇るヤンキースが制した。今でも語り草であるこの年のワールドシリーズは、それまでは負け越しを続けていたが前年途中から就任した選手兼任監督ホーンズビーの名采配によりレッズとの大接戦を制してなんとかナ・リーグ初優勝を遂げたセントルイス・カージナルスとの対決となった。戦前のブックメイカーの予想は15対1で圧倒的ヤンキース。第一戦ヤンキースタジアムの観客数は61000人で、第二戦は63,000人だった。

ワールドシリーズ第5戦は、病床の少年からの手紙にベーブ・ルースは発奮して3連続ホームランを放ち、シリーズに王手を掛けてヤンキースは地元ニューヨークへ凱旋する。
しかしそこでヤンキースタジアム殺人打線の前に立ちはだかったのが、その年カブスからカージナルスに移籍したベテラン投手ピート・アレキサンダー、通称「Alexander the Great アレキサンダー大王」だった。
第六戦にアレックスは完投勝利を挙げて、翌日の最終戦はベーブ・ルースが2点ホームランを放ち一点差に迫った七回裏から登板し後続を断ち、九回まで抑えて勝利。2勝1セーブを挙げてアレックスは優勝の立役者となった。

最終戦の様子は史上初めて全米にラジオ中継されたので、野球の好きなアメリカ人なら誰でもこの試合の展開をよく覚えていた。ちなみに最後のアウトは、映画のものと違ってベーブ・ルイスの盗塁死だった。
特にベーブ・ルースの人気は絶大だったから、ピート・アレキサンダーは現在に至るまで悪役扱いされて、酒乱でありその人柄も疑われている。

しかし症状が悪化してきたのは、第一次世界大戦の砲火の騒音とPTSDによるものだ。一般大衆はピートが人知れず病に苦しんでいたことを知らない。めまいにしろ癲癇にしろ、神経性の病気を患っているものが身近や同級生にいたから少し分かるが、大変なハンデを背負っていたと思う。
アレックスは自分の病気の正体を知って、苦しみから逃れるためにアルコールに手を出して悪循環に陥る。それでもピートはエイミーの支えにより、シカゴ・カブスから新天地セントルイスに移籍して心機一転を図った。シーズンは九勝七敗という平凡な成績だったが、本番ワールドシリーズになりベテランの本領を発揮してくれた。

映画の後の話だが、ホーンズビー監督はギャラでもめてサンフランシスコ・ジャイアンツに放出された。ピートは1927年レギュラーシーズンが絶好調で21勝を挙げる。しかし病状が悪化してその後、成績は下降線をたどり、1930年をもってメジャーから引退する。
しかしその後もユダヤ教徒の野球チームで投げていた。黒人リーグともよく試合をして、戦後四十二歳でメジャーに移ってオールスターやワールドシリーズに勝ったサチェル・ペイジとも対戦していた。
この病にありがちだが癇癪が出て、同じ奥さんと二回結婚して二回離婚している。結局、最後まで離婚したまま離れず生活をしていたようだが、その辺りでも保守的なアメリカ人に嫌われる要素の大きかった人だ。
1950年にピートは亡くなり、彼の成績を讃える意味で、1952年にテクニカル・アドバイザーを元奥さんにお願いしてこの映画を製作公開した。

ドリス・デイの歌だが、「私を野球に連れてって」を口ずさむシーンと「オールド・セイント・ニコルス」をクリスマスに歌うシーンだけ。歌目当ての人には物足りない。

ドリス・デイの名前が一番上だが、出番の数を見ても映画の視点を考えても、ロナルド・レーガンの主演映画である。しかし登場時間の割にレーガンの見せ場が少なかったと感じる人もいよう。その通り、演技力ではレーガンはドリス・デイの足元にも及ばない。この人は元来大学卒業後シカゴ・カブスのラジオアナウンサーになり名実況を残し、ハリウッドに移籍し俳優を目指した。20年の俳優生活だったが、後半の10年はテレビ司会者が本業であり、俳優は副業に過ぎなかった。レーガンはアドリブも効くし、番組にスポンサーから何が求められているか理解しているため、理想的な司会者だった。その中で人々を動かすことを学んでいって政治家の道を目指す。

ピート・アレキサンダーの戸籍名であるグローバー・クリーブランドとはアメリカ大統領史上唯一の当選後一度落選して、さらに4年後再当選した大統領の姓名だ。第22代、第24代の大統領を務めた。
さらにロナルド・レーガンは2期連続で当選した第40代大統領になる。ピートは大統領と縁が深かった。

スタッフ

監督ルイス・セイラー
製作ブライアン・フォイ
脚本テッド・シャードマン、シーレグ・レスター、マーウィン・ジェラード
原作シーレグ・レスター、マーウィン・ジェラード
音楽デビッド・バルトフ
撮影シドニー・ヒコックス

キャスト

ピート(グローバー・クリーブランド・アレクサンダー) ロナルド・レーガン
妻エイミー ドリス・デイ
ロジャーズ・ホーンズビー フランク・ラブジョイ
キルファー夫人 イブ・ミラー
ビル・キルファー捕手 ジェームス・ミリカン
ウィリー・アレクサンダー ルス・タンブリン
ジョージ・グラシーン ゴードン・ジョーンズ
ジョー・マッカーシー ヒュー・サンダース
エイミーの父サム・アランツ フランク・ファーガスン
父 ウォルター・ボールドウィン
母 ドロシー・アダムズ
ジェシー・ヘインズ ボブ・レモン
ベーブ・ルース 本人(試合ビデオ)

恐怖の大王アレキサンダー The Winning Team 1952 ワーナー・ブラザーズ製作・配給 日本劇場未公開

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