英国産のミュージカル「ボーイフレンド」は1953年初公演が行われ、翌年ウェストエンドに進出する。さらに同年ブロードウェイにも進出した。その主役ポリーを演じたのはジュリー・アンドリュースのブロードウェイ・デビュー公演だった。
映画化のプロジェクトも何度もあった(例、デビー・レイノルズ)が、1970年にMGMとEMIが合弁して英国内で配給を決定する。
ツィッギーは1965年からファッションモデルとして一斉を風靡して、ミニスカートの普及に大いな影響を与えた。ツィッギーは監督のケン・ラッセルと友人だった。ツィッギーが映画に進出するに当たって、いくつかの企画を用意されたが、結局デビュー作はミュージカル「ボーイフレンド」の映画化に決まった。準備段階でケン・ラッセルは「ツィッギーを3ヶ月貸してくれ、ジンジャー・ロジャースにしてやる」と言った。さあ、どんな作品いやケン・ラッセルだから快作が生まれたのか?

 

 

あらすじ

 
ポーツマスの場末の劇場ではミュージカル「ボーイフレンド」が演じられている。ポリーは舞台助手だが、主役のリタが怪我で休演になってしまい、代役に立つことになった。

何とハリウッドの著名な映画監督デ・スリルが客席にいる。俳優たちは自分がハリウッドに呼ばれるのかと気がそわそわ。デ・スリル監督はいつしか、このミュージカル・ナンバーの幾つかを取り入れれて豪華なミュージカル映画シーンを思い浮かべていた。一方、ポリーは(本当は好きな)相手俳優トニーの一挙手一投足に胸が揺り動かされる。

ミュージカル「ボーイフレンド」の舞台設定は一九二〇年代、リビエラのマダム・デュボンネの女学校は舞踏会を前に生徒がはしゃぎまわっている。財産家の娘ポリーはBFが来ると嘘を吐き男たちを相手にしない。
参観に出向いたポリーの父は、校長先生が昔のガールフレンド、キキだと気付く。また、ポリーの舞踏会用の衣裳がメッセンジャー・ボーイのトニーによって届けられるが、一目見て二人は愛し合う。実はトニーこそ貴族の御曹子で、二人は晴れて海岸でデートする。そしてポリーの父もキキと結ばれる。

舞台は終るが、タップダンサーのトミーがデ・スリル監督の探していた息子であると分かった。ポリーはデスリルから才能を認められハリウッドに誘われたが、トニーとの英国での生活を選んだ。

 

雑感

 
1930年代にハリウッドで一斉を風靡したバーナビー・ショット(円周上に並んでラインダンスを踊る姿を俯瞰撮影するもの)を取り入れているが、アップの映像ではケン・ラッセル監督は、映画のそれでなくミュージカル舞台の素の姿を描いている。遠影では俳優の姿は美しいものだが、アップにすると顔の化粧がキツくてグロテスクにさえ見える。
 
ミュージカルをそれを演ずる俳優たちのバックステージでのバックステージでの様子を描いた映画。それ自体珍しいものでないが、映像が凝りすぎて変態的だった。
 

スタッフ・キャスト

 
監督・製作・脚本 ケン・ラッセル
原作戯曲 サンディ・ウィルソン
撮影 デイヴィッド・ワトキン
衣装デザイン シャーリー・ラッセル
音楽 ピーター・マクスウェル・デイヴィス

 
配役
代役ポリー      ツイッギー
花形スターのトニー      クリストファー・ゲイブル
マクシミリアン 座長 マックス・エイドリアン
パーシー   ブライアン・プリングル
アルフォンソ(ポリーに片思い)  マレー・メルヴィン
デュボネ夫人  モイラ・フレーザー
フェイ    ジョージナ・ヘイル
トミー トミー・チューン
デスリル監督   ウラデク・シーバル
花形スター・リタ グレンダ・ジャクソン(クレジットなし、アカデミー主演女優賞二度受賞、労働党内閣で元運輸相)
 

 

ボーイフレンド The Boy Friend 1971 ケン・ラッセル製作 MGM-EMI配給 MGM国内配給

投稿ナビゲーション