ケメが6月24日に亡くなったことが7月29日に公表された。おそらく三十五日が終了したからだろう。
まだ65歳だそうだ。早すぎる。ご冥福をお祈りする。

この人はフォークグループのピピ&コットのボーカルとしてプロデビューしたはずだが、残念ながら当時のことは覚えていない。72年に脱退後、ピピ&コット丸山圭子がボーカルの後釜に座って、今も活動してる。

ソロになってからの主なヒット曲は「通りゃんせ」。その名の通り童謡を取り入れたフォーク。

ちょっとナヨッとして中性的な魅力があったため、一部の女性の人気を獲得してアイドル視されたが、音楽性の違いで80年頃に表舞台から去る。

個人的な思い出は、ニッポン放送で1972年から80年まで時報が鳴る24時から10分間毎日放送されていた「あおい君と佐藤クン」だ。モスクワ放送などの混信に耐えながら聞いていた。当時としては衝撃的な番組だった。腐女子向けで盛り上がりの薄い番組だったからw。語りたいことは山ほどあるんだけど、ここじゃ言えない。
あおい君というのは、ジャニーズ事務所出身で水戸黄門で助さんを演じていたあおい輝彦で、佐藤クンはもちろんケメのことだ。この二人をニッポン放送は何故、日付けの変わる瞬間に組み合わせようとしたのか。
今この放送を流した方が受けるかも知れない。少し早すぎたカップリングだ。

75年3月29日放送分と77年3月16日放送分。

フォーク歌手の佐藤公彦(ケメ)氏死去:ラジオ「あおい君と佐藤クン」

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