フランス軍アンリ・ドヴィニ大佐の手記に基き、ロベール・ブレッソンが脚本を書き、自ら監督した脱獄映画。
ドイツ軍に死刑の宣告を受けたフランス軍人が監獄から脱走する様子を描く脱獄映画
監督のブレッソンは1950年監督作品「田舎司祭の日記」で、ヴェニス国際映画祭・金獅子賞およびイタリア批評家賞、ルイ・デリュック賞などを受けている。

主演の学生だったフランソワ・ルテリエ
共演はシャルル・ルクランシュモーリス・ビーアブロック、ローラン・モノらは素人俳優中心であるなどである。白黒映画。

あらすじ

1943年リヨンでレジスタンスに身を投じたフォンテーヌ中尉はドイツ軍に捕らえられた。移送中に脱走を図るが失敗し、拷問された上、モントリュックの監獄に入れられた。
独房で死刑判決を待つ間に、彼は脱出を決意する。朝の汚物回収と洗面の時間に、収容者同士は連絡をとるが、脱走は難しそうだ。まず銀のスプーンをといでナイフを作り、ハメ板を外す。ベッドの毛布を裂いて綱をつくる。囚人たちは107号室のフォンテーヌの部屋の物音から彼が脱走を企てていることを知っていたが、密告するものはいなかった。フォンテーヌの行動は、囚人に勇気を与え次第に仲間の協力を受けるようになる。
オルシニという囚人仲間がフォンテーヌより先に脱走を試みる。彼はドイツ軍に捕まってしまうが、処刑される直前に脱走経路に高い塀で囲まれた中庭があり、道具なしに逃げられないことをフォンテーヌに知らせてくれる。フォンテーヌは小型の錨付きの縄を用意することと思い付く。
そんなある日、フォンテーヌに死刑判決が下った。彼はついに脱走計画の実行を決意した。ところが16歳のドイツ軍脱走兵ジョスト(フランス人)が彼と同室になる。他の囚人たちは、ジョストがフォンテーヌを監視するスパイだと言う・・・。

 

雑感

「死刑囚は逃げた、または 風は己の望む所に吹く」が原題の意味である。
素人中心の映画で脱走映画を作ろうとは、ハリウッドの監督は考えまい。ロベール・ブレッソン監督の天才ぶりがよくわかる作品だった。セミ・ドキュメンタリー映画であり、フォンテーヌの一人称で語られるため、脱走兵の心理を細かく描写している。

1940年にはフランス軍はダンケルクの戦いで壊滅し、中部のヴィシーに首都を遷しペダン元帥がナチス・ドイツの傀儡政権の主席となり、4年間ドイツと手を組んでフランスを治めた。すなわちその4年間は、フランスは我々とは遠からぬ立場だったのだ。当時のフランス映画は日本に輸入されてきたし、それが戦意高揚映画でなかったこともあり、面白かった。

戦時中にしては布地が強くて縄になっても千切れなかったのは、驚きだった。また金具やガラスの管理に手を抜いているし、独房に入っている死刑囚を一日一回外出させて、その間に部屋の中に隠しているものを捜索する習慣がフランスにもドイツにもなかったのが不思議だった。あれは、戦後の習慣なのだな。

主演のフランソワ・ルテリエは学生だったが後に演出家になり、「さよならエマニエル夫人」などの映画監督をした。
共演のシャルル・ルクランシュは、アマチュアらしく以後映画出演経験はない。共演俳優の中にはプロになったものもいる。

 

スタッフ

監督、脚本、脚色、台詞  ロベール・ブレッソン
原案  アンリ・ドヴィニ
撮影  レオンス=アンリ・ビュレル
音楽  ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト

キャスト

フォンテーヌ中尉  フランソワ・ルテリエ
ジョスト少年  シャルル・ルクランシュ
囚人ブランシェ  モーリス・ビーアブロック
レイリ神父  ローラン・モノ
囚人オルシニ  ジャック・エルトー
囚人エブラール  ジャン・ポール・デリューモウ
囚人テリー  ロジェ・トレルヌ
囚人110番  ジャン・フィリップ・ドゥラマーレ

 

ネタばれ

しかしフォンテーヌは脱走仲間が増えたので、この少年にも脱走計画を漏らし協力を頼む。自由を渇望するジョストもその作戦に乗る。
明日処刑されるフォンテーヌは皆が寝静まった夜中に、ジョストともに天窓をこじ開けて屋根に登る。中庭に差し掛かると、縄を使ってフォンテーヌが一人で降りて、歩哨を殺しジョストに合図して中庭に降ろす。そしてもう一つの建物に登ると、外に面しているヘイトの間に、さらに通路があって歩哨が自転車に乗って巡回していた。建物の陸屋根から錨付きの縄をその塀に投げて二人は綱を渡り、ついに塀の外に脱出する。彼らは早足で去っていった。

 

 

抵抗(レジスタンス)-死刑囚の手記より- (Un Condamne a mort s’est echappe ou Le vent souffle ou il veut) 1956 ゴーモン+NEF製作 ゴーモン配給 (新外映 国内配給1957年)

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