2003/11/12(Wed) 23:34
監督 : 斎藤武市
原作 : 大島みち子 / 河野実
脚色 : 八木保太郎
企画 : 児井英生
撮影 : 萩原憲治
音楽 : 小杉太一郎
 

キャスト(役名)
浜田光夫 (高野誠)
吉永小百合 (小島道子)
笠智衆 (小島正次)
原恵子 (母)
内藤武敏 (K先生)
 

☆ネタバレあり

ミコは西脇高から同志社へ進んだが、軟骨肉腫を発症して阪大病院に入院する。
文通友達で中央大学商学部に通うマコは休みの度に大阪へやってきて、駅の売り子をしながらミコを勇気づける。
マコが東京へ戻ってもミコにとって文通が生きる支えになる。
その後も長距離電話をしたりしてミコを励まし続けた。
しかし再手術を断念したあたりから、ミコは死を予感し自分の身の回りを整理し始める。
マコが心配で飛んで来たが、ミコにはおしゃべりするほどの体力ももう残されていない。
マコは学校のため帰っていき、ミコは家族が見守る中、短い人生を閉じる。

いつ見ても泣ける。
遠距離恋愛だと、最後の瞬間に間に合わない・・・。

大島みち子さん本人もぽっちゃりタイプで、そんな彼女が病魔に苦しめられ痩せ細っていったかと思うと、悔しい。

 
1963年8月7日に本名・大島みち子さんは亡くなった。そして本名河野実さんはミコとの思い出を書きまとめ東京の大和書房から出版。
ところが翌年ベストセラーになり、大ブームになってしまう。
まず1月14日ニッポン放送のラジオドラマで「健康な日を三日」という題名で放送さる。主役は山本学と北沢典子。
 

続いてTBS東芝日曜劇場で二週連続で「愛と死を見つめて」としてドラマ化される。プロデューサー石井ふく子、脚本橋田寿賀子、主役山本学、大空真弓。
 

さらにコロンビア・レコードが映画会社と独立してレコード化を決定。プロデューサーとして初仕事だった酒井正利が青山京子をプロデュースして若手作曲家、作詞家を起用して7月にレコードを発売、オリンピックブームのお祭り気分にも関わらずその年のレコード大賞を獲得した。
 

そして9月に日活映画が映画化されオリンピックが始まっても大ヒット。
当時すでに証券不況が近づいてきたことがわかっていたんだ。
 

その後、河野実さんは大学を中退して、ジャーナリストを目指すようになる。
現在はジャーナリストの第一線を離れ悠々自適の日々を送っている。

 
でも大島みち子さんには日本中に忘れられない思い出を残し、軟骨肉腫の治療研究が格段に進んだことが自分の生きた意味だと思ってほしい。
大島さんの治療に関して結果的に見て試行錯誤を繰り返したことに批判があったが、当時の医療技術、検査技術ではあの程度しかできなかった。だから仕方がなかったのだ。どんな状況に置かれても明るく聡明だったみち子さんに対して、医師や看護婦も最高の治療を提供したはずだ。残念ながらそれが40年先の話ではなく、40年前の話だったのだ。


 

愛と死を見つめて 1964 日活

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