正月から忙しくて忙しくて、紅白もガキ使、第九、ジルコンも見なかったし録りもしなかった。皆様は如何お過ごしでしょうか。
今日は「サニー」です。オリジナルはボビー・ヘブソウルナンバーで、マーヴィン・ゲイなどがカバーしている名曲です。

弘田三枝子は1961年に東芝から14歳でデビュー。「ヴァケーション」がヒットして紅白歌合戦に初出演。ミコとして親しまれる。後からこのEPを見ると当時から東芝はVの発音に気を遣っていたのだと知る。

1964年、東京オリンピックの三宅義信・金メダルフィーバーの最中に吹き込んだのが「愛のウェイト・リフティング」。正体はバート・バカラックが作曲しサンディー・ショーが歌った名曲”Always Something There to Remind Me”。ふざけているとしか思えない邦題だ。バカラック先生に謝れw。さすがに19年後ネイキッド・アイズがこれをカバーしたとき「僕はこんなに」と改題したが、このタイトルもどうだかなあ?

1965年にミコちゃんは手塚治虫アニメ「ジャングル大帝」のエンディングテーマ「レオのうた」(作曲冨田勲、作詞辻真先)を歌って、我々の世代にもそのパンチ力を印象づけた。

一方、彼女はジャズやソウルに挑戦したかったようだ。初期のライブアルバムはいずれもすごい出来だ。その中でも68年のコンサート・ライブ盤が「ミコR&Bを歌う」(第1集)。これはアメリカでも発売されるほどの出来で、そのA面3曲目が「サニー」である。

その勢いのままアメリカに渡ればよかったのだが、彼女の身の回りにも色々あったんだろう。69年に川口真の作曲家デビュー作である歌謡曲「人形の家」を歌って国内で大人の歌手へと脱皮を図った。それはヒットしたのだが、それからのミコは原点を見失い次第に歌への執着を失っていったのではないか。

おまけはBobby Hebb のオリジナルではないが、1972年のセルフカバーである。ジャズ・ベーシストのロン・カーターがエレキベースを持っているのが分かる。

弘田三枝子 “Sunny” 1968 (LP「ミコR&Bを歌う」から)

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