渋かったデビュー曲「沈丁花」と同様にこの曲でもバラードやアカペラでの歌唱力を見せつけた。ただしニューミュージックからはずれてきた。

シングル二枚目にして初の自作曲。自作曲の方がはるかに良いと思うのだが、全シングルのうち約1/3しか歌っていない。

この当時、鶴光のヤンタンに起用されて関西で一挙に認知度、好感度を上げて売上も上がってきた。ちなみにうちの母親の後輩です。

レットミーフライ 石川優子 1979

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