テニスの年間グランドスラムを女性として初めて達成したモーリン・コナリーの半生記。
監督はダニエル・ホーラー。もちろんカラー番組。
主演は当時青春スターだったグリニス・オコナー。鬼コーチ役にマイケル・レアーン、母親役にアン・バクスター。
あらすじ
モーリンはテニスコーチのフォーサムと出会い、テニスの魅力に魅せられる。努力の甲斐あって地元の試合を勝ち進みサンディエゴ期待の新星となるが、まだテニスのプロがほとんどいない時代であり、第二次世界大戦が終わってまだ不況から脱していない頃だったので義父ガスは学業よりテニスを優先することに反対する。
モーリンはサンディエゴ・ジュニア選手権をわずか11歳で優勝した。やがてフォーサム・コーチはロサンゼルスでプロのコーチにつくことを進める。モーリンがそのコーチに会いにロスへ旅立つ直前に義父は留めようとするが、娘の願いを叶えるために母は娘をロスに出発させる。その結果、義父と母は離婚する。
モーリンは、テナント・コーチ(ティーチ)に一流選手になるための厳しい訓練を受ける。生まれつき左利きだったため、右手でラケットを振るには右肩の筋肉が足りなかったので、ボール投げやラケット投げから始めた。公式戦以外での対外試合は厳しく禁じられた。その甲斐あって14歳で西海岸ジュニア・チャンピオンになり、翌年は全米ジュニア・チャンピオンに輝く。それどころか16歳で全米オープンに挑む。勝ち進むにつれて緊張が高まったので、決勝戦の午前中にニューヨークでナイト・ドレスを買ってから試合に臨むと、セット数2−1で宿敵シャーリー・フライを倒して初優勝を遂げる。
翌年モーリンは憧れのウィンブルドンの全英オープンに参戦する。肩の痛みを感じたため、医師に診てもらうと肩の筋肉断裂と診断されてしまう。最年少記録に拘るモーリンは出場を諦められず、炎症だというセカンド・オピニオンを選択して強行出場する。それを怒ったティーチは彼女の元から去っていった。モーリンは母とネルソン夫妻の声援を頼りに勝ち抜き、見事に初参戦初優勝を果たす。
翌年には女子として初の年間グランド・スラムを達成し、全米オープンを三連覇する。モーリンは海軍のノーマンと付き合い始め、公私ともに充実させる。
翌年も全仏でシングルス、ダブルス、ミックスダブルスの参観で優勝を遂げ、その勢いでウィンブルドンの三連覇を果たす。ところが四連覇を目指す全米オープン前の休暇中、ティーチから馬に乗ってはならないと躾けられていたにも関わらず、愛馬と遠乗りに出て行った。そして杜撰な整備をしていたトラックに接触して足を負傷してしまう。キンブル医師の診断は2、3ヶ月すれば日常生活に戻ることができるが、テニスの公式戦への復帰は不可能だというものだった。彼女は落ち込むが、恋人ノーマンは他の生き方もあると言い、プロポーズする。
翌年二人は結婚し、ノーマンは事業に成功し、二人の娘をもうけ幸せな日々を過ごしていた、彼女が末期の卵巣癌の診断を受けるまでは。。
ティーチも彼女が病気で長くないと聞いていた。ある日曜日、公園でコートを見学していると、少女がサーブに挑戦するのだがうまく行かない。モーリンはたまらずボールを投げて見なさいと教える。それを見ていたティーチは黙ってモーリンに近づき、古いラケットを渡す。モーリンは20年前に自分が教えられたように、少女にラケットを投げることを教えるのだった。それから間もなくモーリンは34年の短いが密度の濃い生涯を終える。
雑感
最後の子供たちが泣くシーンは今見ても、もらい泣きさせられるが、少し卑怯だw。
この映画はテニスに人生をかけた女性の半生記だ。小柄なモーリンだから、リトル・モーと呼ばれた貧しい少女がコーチ、マスコミ、ライバルたちと出会い成長する姿を描いている。その中で彼女がせっかちな性格でまるで生き急いでいるように見えて、我々に不安を予感させる。
当時のテニスはアマチュア中心で大会旅費や宿泊費も寄付金で賄っていて、賞金額もあまり高くなかった。だから義父を演ずるクロード・エイキンスは、モーリンがテニスにのめり込むのを諌めたのだ。リトル・モーは女子スポーツのパイオニアの一人だったが、得られるものは今の大坂なおみと比べて遥かに少なかった。
モーリンは16歳で全米オープンを初優勝(1951)し、18歳で女子テニス界初めての年間グランドスラム(1953)を達成する。しかし19歳でウィンブルドン三連覇を達成した直後に、トラック側の不注意による交通事故により突然の引退を余儀なくされる。そして15年後卵巣ガンを病み、愛する夫や幼い娘たちを遺して 34歳の若さで亡くなる。
オリジナルは正味150分のアメリカNBCテレビ映画。
しかし出演はアン・バクスター、クロード・エイキンス、レスリー・ニールセン、アン・フランシスら、映画でも主役級のクラスを揃えている。何よりも人気青春スターだったグリニス・オコナーがはつらつとした演技を見せる。かつて見ていた人は感慨を覚えるだろう。
日本では15分ほどカットして1979年に劇場用映画になった。当時学生テニスのブームが起きていたので、それに肖ろうとしたのだ。CMでの暗転シーンや俳優の撮影アングルの端々に当時のテレビらしさが出ている。
オリジナル版にない主題歌「リトル・モー」(ニセトラ=偽サントラ)が日本の劇場用に作られた。外国人名義の作詞作曲だったので本格的に作ったと思っていた。しかし英語の作詞者はステージ101出身の樋口康雄のペンネームであり、どうやら作曲も同じステージ101出身の惣領泰則という噂だ。ステージ101世代にとっては、そっちの方が嬉しい。曲も洋楽っぽくしているが日本人しか作らないように聞こえる。コーラス歌手EVEは沖縄出身の三姉妹歌手であり、のちに紅白歌合戦に出場した。
オコナーは日本でも人気になり、慌てて松竹富士が彼女が出演する映画「カリフォルニア・ドリーミング」を輸入配給した。
1980年には、TBSが「リトル・モー」をテレビ放映した。その後NHK-BSがジョイパック版と少し編集が違う字幕版を放映している。
オコナーの次世代(8歳下)がテイタム・オニールだ。後ろから追い立てられたので、オコナーのアイドルとしての活躍期間は思ったほど長くなく、次第に大人の演技に寄せていく。(オニールは10歳で既にアカデミー助演女優賞を受賞し、テニス界の悪童ジョン・マッケンローとも一時結婚していた)
この手の映画は日本ヘラルド映画の配給だとばかり思っていたが、ジョイパック・フィルム(現ヒューマックス)の配給だった。ジョイパックは中国国民党(台湾)の重鎮林以文の子孫である華僑の林一族が経営していた独立ポルノ映画製作会社だ。この数年前から「スナッフ」「フレッシュ・ゴードン」(フラッシュゴードンのポルノ版)などキワモノ映画の配給を始めていたが、「リトル・モー」で初めて普通の映画(テレビ映画だが)を配給した。おそらく日本ヘラルドが製作側と交渉して輸入したのをジョイパックが国内配給させてもらったのでないかと考えている。
ラストにコーチとリトル・モーが再会する場面はフィクションだそうだ。
それからウィンブルドンのライバルであったスーザン・パートリッジ役でモーリンの実の娘シンディー・ブリンカーが出演している。
映画の音声は聞き取りやすく、リスニングの勉強に使えます。
スタッフ
脚本 ジョン・マクグリービー
監督 ダニエル・ホーラー
音楽 カール・ブラント、ビリー・メイ
製作総指揮 ジャック・ウェブ
製作 ジョージ・シャーマン
撮影 ハリー・L・ウォルフ
日本の劇場版のみ
主題歌 「リトル・モー」 by キャロル・スティーブンス+EVE 作曲テリー・フィードラー(惣領泰則?) 作詞ビル・クラッチフィールド(樋口康雄)
キャスト
グリニス・オコーナー: モーリン・コナリー
マイケル・ラーンド: エレノア・ティーチ・テナント(コーチ)、後半ナレーター
アン・バクスター: 母ジェサミン・コナリー、 前半ナレーター
クロード・エイキンス: 義父ガス
アン・フランシス: ネルソンの妻ソフィー(練習パートナー)
マーク・ハーモン: ノーマン・ブリンカー(後の夫)
マーティン・ミルナー: フォーサム氏(最初のコーチ)
レスリー・ニールセン: サンディエゴの記者ネルソン・フィッシャー
フレッド・ホリデー :ブルース・キンブル医師
シンディー・ブリンカー (モーリンの実娘) : スーザン・パートリッジ