最近「マン・オン・ザ・ムーン」が公開されたミロス・フォアマン監督の大傑作「カッコーの巣の上で」。
ロボトミー手術の悲劇を扱ったものだ。
アカデミー賞を5個取っている。
チェコ人である、フォアマンには他に「ラリーフリント」、「アマデウス」などの傑作がある。
マイケル・ダグラスの初プロデューサー作品でもある。
マクマーフィ(J・ニコルソン、この作品で主演男優賞)は、刑務所の強制労働から逃げるため、気が狂った振りをして州立精神病院に移管される。
彼の入れられた病棟は、ラチェッド婦長(ルイーズ・フレッチャー、この作品で主演女優賞)によって管理されていた。
考え方までコントロールされてしまい、無気力になった病人達を見て、マクマーフィは自ら婦長に逆らうことで、彼らに人間らしさを取り戻させようとする。
たとえばワールドシリーズのテレビ中継を見せろと運動したり、集団脱走してボートで沖釣りに出ていったり、懲罰として電気ショックを受けても、彼はやりたい放題だ。
しかし婦長はマクマーフィの治療に拘り、彼を他の病院へ移管することを拒む。
クリスマスの夜、マクマーフィは外から女を連れ込んでパーティーを開く。
そして患者で、どもりのマザコン青年に女を抱かせて、生きる自信を与える。
翌朝、婦長は青年を厳しく叱咤する。
ようやくどもりも治りかけた青年だったが、再び心を閉ざし、自殺する。
マクマーフィは怒り狂い、婦長を殺そうとする。

精神病を扱っているが、精神病の話ではない。
これはメタファーであり、あくまで管理社会に埋もれた我々のお話だ。
その中で考え方まで支配され、無気力になり毎日の日課をこなすだけの人間を描いている。
婦長は教師だ、あるいは上司だ。現代社会の伝道師なのだ。
彼女は良かれと思い、我々を洗脳していく。
自分が正気であることに疑いがない。
その実、どちらが狂っているかなんて、誰にもわからない。
我々はいつの間にか、自分の回りに枠を作り、限られた範囲でしか、生きられず、モノを考えられず、自由を失う。
僕も最初にこの映画を見たときは、何が面白いのか、何が泣けるのか、さっぱりわからなかった。
すなわち、自分が現代社会という精神病院の檻の中に入れられていることすら、気が付かなかったのだ。
意味が分かった今だって、ここから出て行くだけの勇気を持ち合わせていない。
自分がどこにいるかわかっていても、結局今のままを選んでしまうのではないか?
この精神病棟の患者達の多くもそうだった。
我々はいつになったら、自分たちを支配する「何か」から抜け出すことが出来るのか?
なお病人役として性格俳優を多数採用している。ダニー・デビート(ツインズ)やクリストファー・ロイド(バックトゥザフューチャー1,2,3)の顔も見える。