昭和40年代に入り、民放もNHKもカラー放送を開始し、テレビは隆盛を極めた。
30歳を過ぎて黒柳徹子は思い切って篠山紀信とヌードに挑戦した。
しかしまだ何かもの足りない。
彼女は長い人生のことを考え、ニューヨークへ留学することを決意する。
しかしNHKはそうかんたんに人気者の彼女を手放しはしなかった。
朝ドラ「繭子ひとり」では原作にいないオリジナルキャラクター(青森から子供のために出稼ぎに出る大きなメガネを掛けた女性)オケイさんとして登場した。
半年でNY留学のため番組を降板したが、オケイさん待望論が盛り上がり、12月にオケイさんがフィルムレターを送ってきたという設定でNYの様子を茶の間にお送りした。
おかげで「おしん」の登場まで十数年間「繭子ひとり」は朝ドラ視聴率第一位の座を守る。
そしてチャーリー・チャップリンとの出会いを音楽「ニューヨーク・ニューヨーク」と共にミュージカル仕立てにして番組ラストとして飾る。
実はチャーリー・チャップリンが久しぶりにNYへやって来たとき、徹子は正装たる着物を着ていたのでフリーパスでチャップリンに近づきインタービューできたのである。
玉ねぎヘアは和装洋装ともに合うヘアスタイルとして徹子が開発したものである。
ちなみに「ニューヨーク・ニューヨーク」が同名映画のヒットとともにライザ・ミネリの歌唱でシングルカットされたのは1977年のことだからミュージカルシーンはウソ。
ところで1971年に38歳の女性が海外留学なんて考えられなかったろう。その間にドラマ撮影やインタビュアーとしての仕事を入れながらである。
このあたりから徹子は他に例を見ないマルチタレントとして大活躍していく。
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