ジョージとエミリーは隣家同士で幼なじみ。高校も同級生で卒業年に意識し始める・・・。
ソーントン・ワイルダーの戯曲「わが町」による舞台劇を原作者自身とフランク・クレイブンらが脚色しサム・ウッドが映画化。
主演はデビュー2年目のウィリアム・ホールデンと映画初出演のマーサ・スコット。共演はトーマス・ミッチェルら。
「リバティ・バランスを撃った男」同様に、アメリカの特殊性、逆に日本の特殊性も考えさせられる名作映画だ。
あらすじ
第一幕: (ある日の日常)
1901年、マサチューセッツに接したニューハンプシャー州の小都市グローバー・コーナーズ(架空の町)に中産階級に属する二組の夫婦が隣同士で仲良く暮らしていた。
ギブス家の主人は医師を務め、夫人はおおらかな性格でいつか旅行に行きたいと小銭を貯めている(実は数年後肺炎で亡くなる)。長男ジョージは勉強が苦手だが高校野球の名選手、将来は農場主である伯父の跡を継ぎたい。その下にはチャッカリ者の妹レベッカがいる。
一方のウェブ氏は新聞編集者で、夫人は厳しいが良き母である。長女エミリーは学校一勉強ができるが、自分が人から美人に見られるかどうか気になるお年頃だ。下には弟ウォリーがいる。
ついで6月のある日のギブス家とウェブ家の日常の様子を見せる。いつものように母親が子供達を起こし朝食を急かせて、学校に送り出す。それから夫人の井戸端会議が始まる。
そこを舞台監督モーガン氏が割り込み、地質や人口などの解説者州立大教授のウィラード教授と町政の仕組みをウェブ氏に解説させ質疑応答を受けてこの町の特徴を観客に知らせる。圧倒的に共和党層が多い土地柄である。
再び物語に戻る。夕方子供達は下校時間だ。ジョージはエミリーとバッタリ会って、数学の宿題の解き方を教えてほしいと頼む。承諾したエミリーは母に対して、私って綺麗?と尋ねたりしてすっかり色気づいたようだ。
夕食を終えて夜の時間帯になると、母達は聖歌隊のレッスンに教会付きのサイモン先生のもとに通う。サイモン先生は飲んだくれだが、言っていることに間違いはない。ジョージはエミリーに二階の窓越しに数学のヒントを教えてもらう。
ジョージは父に呼ばれる。農場を経営したいなら朝早く起きて母にやらせている薪割りから始めたらどうだと諭す。ジョージは非を泣いて詫びる。
一方、聖歌隊の練習が終わった奥様トリオは帰途に着く。ウェブ夫人がサイモン先生の酒量が最近多くなったのではないかと尋ねる。ソームズ夫人は以前もこう言うことがあったから、主治医に任せて我々は口を挟むべきでないと言う。こうしてグローバーズ・コーナーズの夜は暮れていく。
第二幕: (結婚式)
3年後の1904年7月7日、卒業式直後のジョージとエミリーが結婚式を挙げる日がやってくる。ギブス夫人は感激で泣き出しそうである。ギブス医師も息子が結婚とは信じられんと言う。そこへジョージが起きてくる。彼は食事も取らず、隣家に挨拶に行く。しかしウェブ夫人はしきたりだからと言って娘に会わせない。ウェブ氏にも結婚式の新婦の準備の多さを考えて見なさいと諭される。
そこで舞台監督が割り込み、二人の馴れ初めを見ようと言い出す。一年前ジョージが生徒会長にエミリーが会計に当選した日のことだ。
ドラッグストアで最近カリカリしていたエミリーを慰めようとしているうちに、エミリーはジョージが大学に進むから怒っていることに気づく。そしてジョージは高校を卒業したらすぐ農場で働くから結婚しようとプロポーズしたのだった。
そして当日は小さな結婚式だったが、教会は超満員だった。
第三幕: (葬儀)
それから幸せな9年が経った。既にギブズ夫人は肺炎で亡くなり、そしてウェブ夫妻も弟ウォリーも既に亡くなっていた。サイモン先生も酒のせいで自殺した。彼らは死に、生きていた頃の貧富の差も意味がなくなり、個性や記憶も消えていく。しかし生き残るものがある。それは魂(Something Eternal)である。
ジョージとエミリーの間に二人目の子が生まれる。ところが産褥熱でエミリーの具合が悪くなり、ギブス医師に見守られながらエミリーは亡くなってしまう。
エミリーが気付くと、ジョージやギブス医師は喪服を着て郊外の墓地へ歩いている。どうやらエミリー自身の葬式らしい。
墓地でグローバー・コーナーズの死者の列に加わる。死者は過去の思い出などどうでもいいと言うが、エミリーは納得いかなくて一日だけ楽しかったことを思い出すことを許される。その日はエミリー16歳の誕生日だった。楽しいはずなのだが、それから未来に起きる死別を知っているだけに、とても切ない。生きることは素晴らしいのに、もっと一瞬一瞬を大切に生きなかったのか?
生きたい生きたいと願っていると、ギブス医師の「もちろん生きておる」と言う声が聞こえ、赤ん坊が泣き出した。その声にエミリーも自分が生きていることに気付き、ジョージも寝室に入ってきて、一家が揃い新しい生命を歓迎した。もう夜の十一時、終電車が去って行く。
雑感
1940年を生きる舞台監督の立場から、アメリカが19世期末の第二次産業革命で世界をリードして、ヨーロッパの雑事に関わらずキューバやフィリピンなどに領土を拡大できた時代(1901ー1913)を描いている。第一次世界大戦も始まっておらず、アメリカ共和党保守派が最も幸福だと思っていた時代だ。幸福だからこそ、見落としがちな日々の幸福に気づくべきだと訴える。
舞台劇の方は、死んでも往生際の悪かったエミリーが1日だけ思い出すことを許されるが、結局切なさだけが募ってしまい、諦めて本当にあの世へ行ってしまう。
映画はその後に二人目の子供をギブス医師が叩いて泣き出すのを見て、誕生を確認する。その様子を今まで夢を見ていたエミリーとジョージが喜ぶと言う終わり方だ。どう考えても舞台の方が良い終わり方だが、映画はほっとさせるエンディングだ。
原作舞台がニュージャージーのプリンストンで初演された頃(舞台監督役はオーソン・ウェルズ)は第二次世界大戦が近付き、ヨーロッパの戦禍がアメリカにも伝染してきた不安な時代。アメリカの白人の多くが、「わが町」の頃が良かったと思ったのだろう。
サム・ウッドはセシル・B・デミルの助監督出身でサイレント時代からの大物監督である。実は1944年からMPA(アメリカの理想を守るための映画同盟)の会長で映画界でもバリバリの保守派だった。それだけに過去の良かった時代をいつまでも引きずっていた。後に下院の赤狩り委員会で映画界の左派に対して強く批判している。
ウィリアム・ホールデンは若い頃からニヤけた優男だった。彼ほどイメージを変えずに老いてもスターでい続けたのは珍しい。
マーサ・スコットはこれが映画デビュー作だが、ブロードウェイでの最初の舞台公演でエミリー役を演じた。1940年で既に28歳で、決して美人ではないが、舞台仕込みの演技派だ。「十戒」(1956)「ベン・ハー」(1959)での主人公モーゼ、ベン・ハーの母役が我々の世代には有名だ。
脚色に加わったフランク・クレイブンも舞台から同じ舞台監督役でこの作品に出演していた。
音楽を担当したアーロン・コープランドはアメリカの重要なクラシック作曲家だ。この映画でも静かだが、雄大で厳かな音楽を作曲している。
スタッフ
監督 サム・ウッド 「誰がために鐘は鳴る」
製作 ソル・レッサー 「ターザンの凱歌」
原作戯曲 ソーントン・ワイルダー (この舞台作品でピューリツァー賞受賞)
脚色 フランク・クレイヴン 、 ハリー・チャンドリー
撮影 バート・グレノン 「駅馬車」
音楽 アーロン・コープランド 「廿日鼠と人間(1939)」
キャスト
ジョージ・ギブス ウィリアム・ホールデン 「第七捕虜収容所」
エミリー・ウェブ マーサ・スコット
舞台監督(ドラッグストア店主)モーガン氏 フランク・クレイヴン
ジョージの母ギブス夫人 フェイ・ベインター
エミリーの母ウェブ夫人 ビューラ・ボンディ
ジョージの父ギブス医師 トーマス・ミッチェル 「駅馬車」
エミリーの母ウェブ氏 ガイ・キッビー
牛乳屋ハウィー・ニューサム スチュアート・アーウィン
新聞配達兄ジョー・クロムウェル ディクス・デイビス
新聞配達弟サイ・クロムウェル ティム・デイビス
ソームズ夫人 ドロ・メランド
教会のオルガン奏者サイモン・スティムソン フィリップ・ウッド