クラウンレコードの1964年から1965年までのアンソロジー。
青春歌謡リズム歌謡エレキ歌謡が集められている。
短い間に流行が替わっていくのが、よく分かる。
西郷輝彦、山田太郎の楽曲が中心である。

1. 君だけを (西郷輝彦)
「いつでもいつでも君だけを〜♪」
クラウンレコードと言えばこの人。
デビュー曲。
2. 清らかな青春 (山田太郎)
後発だったクラウン・レコード最初の歌手山田太郎のデビュー曲。
現在は村田英雄を育てた、名門新栄プロ社長。また、冠名「ウェスタン○○」の馬主でもある。
3. 星空のあいつ (西郷輝彦)
西郷の3曲目。
4. 仲よし三人お友達 (後藤久美子)
天才少女歌手ゴクミ。
子供だとは思えない、強烈なこぶしである。
62年にコロムビアからデビューするが、64年にクラウンに移籍、
これは移籍後、4枚目のシングル。
5. 十七才のこの胸に (西郷輝彦)
紅白歌合戦初出場曲。
6. そよ風デイト (高石かつ枝)
「ランララ、ランララ、ランラララン♪」
彼女もコロムビアから移籍してきた。
移籍後6枚目のドーナツ盤。
7. 私の恋人 (東山明美)
フジテレビのドラマ「お嫁さん」(第二シリーズ)で有名だが、
元々は日本テレビ「ホイホイミュージックスクール」出身歌手だった。
8. バラ色の朝 (浅野順子)
浅野順子と言えば、鈴木清順監督、高橋英樹主演の日活映画「けんかえれじい」(1966)での好演が忘れられない。
これは64年のデビュー曲。
9. 銀色のバレエ (高石かつ枝)
バレエの歌ではない。アイススケートの歌だ。
作曲は世界の富田勲。
10. 東京スカ娘 (中川ゆき)
「スーカー、夢を見なくちゃダメよー♪」
東宝の準主役級女優。
スカと言う言葉を、普及させたんじゃないかな。
11. ママがお出かけした留守に (後藤久美子)
子供らしくないせいか、この曲でクラウンと契約打ち切り。
現在もジャズシンガーとして活躍しているとか。
12. 俺の涙は俺がふく (美樹克彦)
ビクターの目方誠が65年にクラウンへ移籍して、美樹克彦と改名した。
そのデビュー曲である。
テンポの良い、リズム歌謡。
13. 新聞少年 (山田太郎)
「ボクのあだ名を知ってるかい♪」
山田太郎の大ヒット曲。
社長業の傍ら、いまだに懐メロ番組に呼ばれる。
ヒットしなかったが、「牛乳少年」も聞きたいな。
14. 女の子だもん (東山明美)
麻丘めぐみとは何の関係もない。
「風の中をひとり」のB面。
15. だけどだけどだけど (美川憲一)
美川さんのデビュー曲。
売れなかった。
16. 6番のロック (美樹克彦)
これもリズム歌謡だ。
美樹克彦はクラウンのリズム歌謡をリードしていた。
17. 高校生マーチ (山田太郎)
軍歌調のマーチ歌謡。
青春映画の挿入歌だ。
18. 恋人ならば (西郷輝彦)
この曲は大ヒットしていないが、
西郷がリズム歌謡を歌うきっかけになった。
19. これが若さだ青春だ (山田太郎)
やはり青春ドラマ風マーチだ。
「ああ俺たちの鐘が鳴る」のB面。
20. 星娘 (西郷輝彦)
紅白にも出場した、テケテケテケテケのエレキ歌謡だ。
1965年、浜口庫之助作詞作曲のヒット曲。
この曲があって浜庫の傑作「星のフラメンコ」につながる。
21. 恋のエレキ (高木たかし)
コロムビアからの移籍組。
文字通り、エレキ歌謡。
「俺の涙とあの娘の涙」のB面。
22. ペダルに生きるやつ (西郷輝彦)
通産省ご推奨の競輪応援歌。
この時代は、青春スターも競輪ソングを歌っていたのだ(笑)
ぱっと聞くと、「どてらい男」の挿入歌かと思ってしまう。
23. あの娘が好きと云った花 (美川憲一)
2曲目のシングルだ。梶光夫風だったが、これもヒットせず。
翌年、歌謡曲に転向して、「柳ヶ瀬ブルース」の大ヒットが生まれる。

美川憲一のブレーク前の青春歌謡が珍しかった。
それから、高石かつ枝、東山明美の若い頃の歌も聞き物だった。
中川ゆきの「東京スカ娘」もいいんだが、他のコンピ盤にも収録されていた。

青春歌謡ゴーゴー(1) ティーン・ポップス大図鑑

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